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 【1】キリスト教とは何か   〝矛盾と差別の悪循環〟




 イエスは紀元前四年頃、現在のパレスチナ自治区のベツレヘムという町で、大工の父ヨセフと母マリアとの間に生まれたとされています。
 『新約聖書』によると、結婚前にマリアが妊娠し、疑ったヨセフは婚約を解消しようとしますが、夢の中に神の使いが現れて、「マリアのお腹にいるのは聖霊によってもたらされたもので、男の子が生まれるから、イエスと名付けなさい」といわれ、イエスが誕生したとされていますが、この時点で因果を無視した神話が生まれています。イエスは不貞で生まれた子だと考えるのが自然でしょう。
 当時、その地方ではすでにユダヤ教が広まっており、イエスもユダヤ教徒として育ちますが、やがてイエスはユダヤ教徒でありながらユダヤ教を批判し、改革運動を進めていきます。ユダヤ教では、ユダヤ人こそが神に選ばれた民であって、神に救われる唯一の民族であると説いています。ですが、イエスは、神を信じる者は誰でも救われると説きました。
 その結果、イエスは捕らえられ、ゴルゴタの丘で十字架にかけられて処刑されます(紀元30年頃)。結局は救われず悶え苦しんで死にました。

 イエスの教えはその後、弟子たちによって、まずは『福音書』という形にまとめられました。「福音」とは「よい知らせ」という意味です。その後、これが後世になって『新約聖書』としてさらにまとめられ、世界中に広まっていきます。
 しかし、この時イエスはいざ自分が十字架上で死を間近にした時、
『神よ、どうして私をお見捨てになったのですか』と、神を恨んでいる言葉を残しています。これについて後世の弟子たちがあれこれ言い訳をしていますが、十字架で悶え苦しみながら処刑された時点で不幸なのであり、「イエスは人類の罪を一身に背負った」などと、後の人が美談にしているにすぎません。
 断言すれば、イエスという人は復活などしていないのです。また、復活などという事柄そのものが、負け惜しみの作り話であることは冷静になって考えれば、誰にでも分かる事実です。もちろん、これは、教祖イエスを処刑された弟子の悲しみと憤った感情が復活願望に転化し、新約聖書(マタイによる福音書)の復活劇となったことに他なりません。パウロの言葉を引用するならば、「パウロたちの宣教もむなしく、キリスト教徒たちの信仰もむなしい」のです。また、このパウロもローマで二度投獄され、牢の中で死んでいきます。彼の信仰も彼を救うことはできなかったのです。このことからも、キリスト教が真理などとは程遠い誤った宗教であることがよくわかります。
 このように、ありもしない昇天や復活などの因果を無視したおとぎ話で信者を洗脳するのがキリスト教なのです。実際、これまで世界で一番に戦争をしいる宗教はキリスト教ではありませんか。罪を作る宗教といか言いようがありません。

 ですから、イエスが生きていた時代に「キリスト教」という名前が付けられていたわけではありません。イエスには新しい宗教をつくり出すという考えはなかったわけです。

 イエスはユダヤ教徒であり、弟子たちへ教えを伝えるときも、ユダヤ教徒の聖書である『旧約聖書』の内容を引用していました。イエスの死後、弟子たちは布教活動を続けます。当時ヨーロッパを支配していたローマ帝国の歴代の皇帝たちは、自分のことを神として崇拝するよう人びとに命じていたため、それを認めないキリスト教徒を迫害するようになります。ペテロやパウロなど、多くのキリスト教徒が殺害されました。 この迫害にもかかわらず、神の前での平等を説くキリスト教は広がりを見せ、身分の低い人や奴隷、そして上流階級にまでその教えは浸透していきました。

 やがてローマ帝国の治世下で国教化されたキリスト教は、世界を支配する強大な権力を手に入れてゆきます=この原因は、キリスト教の〝肉体と魂〟という二元論に行き着きます。ローマ帝国の圧制下で苦しんでいる大衆に対し、「苦しい生活は神の思し召しだから、変革する必要はない。これが君達の原罪なのだから。重要なのは、魂の救済だ」と説きますから、支配者にとってこれほど好都合な教えは無かったのです。そしてキリスト教は〝巨大な支配者〟となってゆきました。

 この様子を見たローマ帝国のコンスタンティヌス(大帝)は、このままキリスト教徒を迫害し続けていては帝国の統一は難しいと判断し、313年、キリスト教を認めるという「ミラノ勅令」を発表。その後、380年には、テオドシウス一世がキリスト教を国教、つまり「国が定める宗教」として認めることになり ました。イエスが十字架にかけられてから300年以上が過ぎた頃、キリスト教はヨーロッパに一気に広まっていくことになったのです。

 テオドシウス一世がキリスト教を国教として認めたのは、ローマ帝国の崩壊を食い止めるべく宗教を利用しようとしたためなのですが、ローマ帝国はついに分裂します。テオドシウス一世は395年、ローマ帝国を東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と西ローマ帝国に分けることにしました。
 これにともない、東西のローマ帝国では、キリスト教においても少しずつ考え方に違いが現れるようになり、それぞれ独自の発展を遂げていきます。
 西は「カトリック教会」、東は「東方正教会」となり、さらにカトリック教会からは、16世紀になってプロテスタントが分かれます。
 カトリックとは「普遍的」という意味で、プロテスタントとは、資金集めに免罪符発行するカトリックへの「抗議(プロテスト)」という歴史的背景から付けられた名称です。
 その後、プロテスタントの一派であるピューリタン(清教徒 )がアメリカへ渡り、同地で広く信仰されることになりました。アメリカとキリスト教が根強く結びついている背景には、このような歴史があるのです。

 【2】新旧聖書の世界 



【1.天地創造】
 旧約聖書を開いてみると、まず最初に「創世記」があります。この天地創造の話をみてみましょう。
 神が天地を創造した初めに地は荒涼混沌とし闇が淵をおおい、暴風が水面を吹き荒れていた。「光りあれ」と神がいった。すると光りがあった。神は光をみてよしとし、光りと闇を分けた。神は光りを昼と呼び、闇を夜と呼んだ。夕となり朝となって、一日が終わった。
 このようにして神は二日目に大空をつくり、三日目に陸と海をつくり、陸に植物をつくった。四日目に太陽と星をつくり、五日目に魚と鳥をつくった。六日目に、「我らの像に似せて人をつくろう」とし、地上、天空のすべての生物を従わせた。
 こうして天地万物が完成した。七日目に神は休み、その七日目を祝し、聖日とした。「これが天地創造の次第である」。


 新約聖書では、キリスト教で立てる天地創造の神は、予言者と称されるキリストが経典に説示しただけのことで、現実にこの地上に姿を現したことはありません。しかも、「障害者が生まれるのは神の御業が現れる為」(新約聖書『ヨハネによる福音書』9:1-7)とあります。
 つまりこの世はまるで神(ゴッド)の巨大な実験場であり、神は障害を負った子供が大人になるまでの長大な時間を無言・沈黙のまま見つめて、その苦しみは神を喜ばせるための計画、仕組みとして、その障害者は生まれて来たことになります。
 博愛を説きながら理不尽な差別を好み、神を立てれば全てを正当化できるため、キリスト教徒の多い国は、正義の為の殺戮や戦争を好んで行うなど、全てが矛盾の教えです。
 現代の科学からみると、何の説得力もない矛盾だらけの作り話ですが、では、一体、このような神をつくったのは誰なのでしょう。この疑問に答えることのできるキリスト教徒にお目にかかったことはありません。そこで、正しい解答を用意しました。旧約聖書で説かれる神をつくったのは、古代ユダヤの民族なのです。ということは、神が世界をつくった のではなく、古代ユダヤの民族が旧約聖書の神をつくったのです。ですから旧約聖書の世界は、日本の神話や様々な民族が持つ独特の神話と同じように、キリスト教とは、どのような宗教か=破天荒で、何の科学的根拠もない作り話のオンパレードなのです。
 また、「○日目に○を作った」という、今では小学生でも「四日目に太陽なのに、初日の光は何だ?」と見破れる内容のものです。更に、「全知全能の神がなぜ、わざわざ罪を犯す人間を造ったのか?人類誕生以前にも肉食動物がいた証拠(化石)があるが?」と追及すると、非常に幼稚なロジックで返してきます。旧約聖書の世界は破天荒で、何の科学的根拠もない滑稽な作り話のオンパレードなのです。

【2.キリスト教の布教概略】
 キリスト教の歴史をひもといてみるとローマ帝国の治世下で国教化されたキリスト教は、大衆を支配する強大な権力を手に入れることになります。この原因を考えてみると、キリスト教の肉体と魂という二元論に行き着きます。もう少しわかりやすく言うと、ローマ帝国の圧制の下で苦しんでいる大衆に対して、その苦しい生活を変革していく必要はない。これがあなた達の原罪なのだ。それよりも重要なのは、魂の救済だと説いていきますから、支配者にとっては、これほど好都合な教えはありませんでした。そのため、キリスト教は、支配者に取り込まれながら、自らが大衆に対する支配者へとなっていく道をたどるのです。
 また、それ以後のキリスト教が現実に及ぼした影響を考える上で、見落としてはならないものに、十字軍と異端審問・魔女裁判があります。まず、十字軍ですが、東方で苦しんでいるキリスト教徒がいるから、異教徒を撲滅して苦しんでいるキリスト教徒を救わねばならない、との考えにより異教徒との戦争を肯定していきます。この異教徒はイスラム教徒を指しますが、右手には剣、左手には聖書を手にした十字軍の行為は、まさに、殺戮と略奪の積み重ねでした。
 少しだけ具体例を挙げてみましょう。
「サラセン人が、生きている間にその嫌らしい喉に飲み込んだ金貨を腸から取り出そうと死 体を裂いて調べ回り、同じ目的で死体を山と積み上げ、これに火を付けて灰になるまで焼き、もっと簡単に金貨を見つけようとした」(『年代記』ティルス大司教)これは、第一回目のエルサレム入城の時の記録です。このサラセン人というのは、アラブ人、トルコ人、エジプト人、エチオピア人の総称で、これらのイスラム教徒は、すべて虐殺の対象とされました。このような殺戮を繰り返す十字軍遠征がキリスト教の主導で十世紀末から二百年も続いたのですから、一体、何のための宗教かと言いたくなってしまいます。
 次に、異端審問についてですが、前述したように、大衆を支配する立場となったキリスト教会は、自らの領地を拡げ、富を蓄積し、奴隷制度を肯定するだけでなく、自らも多くの奴隷を所有するという特権階級にのし上がっていきます。それらの行動を肯定していくのが、キリスト教の教えですが、そういう教えに異議を唱えるようなグループが出現すると、異端として審問にかけていきました。審問は、密告や噂によって異端と判断されたり、気に入らない人間は拷問にかけて無理矢理自白させるなどの方法が採られ、まさに、審問官の心証だけで異端かどうかを判断するといういい加減なものでした。しかし、その刑罰は火刑( 生きている人を火をくべて焼き殺す) という残酷なものでした。また、キリスト教に異議を唱えるグループだけではなく、キリスト教に帰依しないという人々も魔女として処刑される時代が長く続きます。
 この魔女というのは、占いを生業としていた人々や薬草などの処方を心得ていた人々も多く含まれました。もちろん、これらの人々が魔女であるという根拠はありません。単なる噂や密告によるものがほとんどでした。考えてもみればわかりますが、箒( ほうき) にまたがって空を飛んでいたのを見たなどという事実はあるはずはありません。このように、魔女というレッテルを貼られて火刑に処された人々の中には、かの有名なジャンヌ・ダルクもいました。外に対する十字軍と内に対する異端審問・魔女裁判というすさまじい行動をみるとき、キリスト教が復讐と憎悪の宗教であるゆえんがよく わかります。

【3.イエス復活の真実】
 イエスの死後、キリスト教はパウロによりローマ世界に広まっていきますが、ここで少し、キリスト教の教義について考えてみることにしましょう。
 「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教もむなしく、あなた方の信仰もむなしい。あなた方は、今なお罪の中にいることになろう」( コリント人への手紙)
 イエスが復活した噂の根源は、イエスの死後、遺体安置の場所に数日後に遺体が無かったと言う噂から勝手に広まったもので、生者の世界と死者の世界の双方の主とイエスがなったと解釈されていきました。しかし、ユダヤ教に反逆して処刑になった人が、この世界の主となるなどという教義など何の説得力もありません。どのような時代でも、その時代の秩序に反逆して処刑となった人物など掃いて捨てるほどいたのです。
 そのような人物が、人類の罪をすべて引き受けて死んだなどといえば、おこがましいという以外にはありません。断言すれば、イエスという人は復活などしていないのです。また、復活などという事柄そのものが、負け惜しみの作り話であることは冷静になって考えれば、誰にでも分かる事実です。もちろん、これは、教祖イエスを処刑された弟子の悲しみと憤った感情が復活願望に転化し、新約聖書( マタイによる福音書)の復活劇となったことに他なりません。
 パウロの言葉を引用するならば、「パウロたちの宣教もむなしく、キリスト教徒たちの信仰もむなしい」のです。また、このパウロもローマで二度投獄され、牢の中で死んでいきます。彼の信仰も彼を救うことはできなかったのです。このことからも、キリスト教が真理などとは程遠い誤った宗教であることがよくわかります。

【4.キリスト教は人種差別と戦争の根源】
 キリスト教で立てる天地創造の神は、予言者と称されるキリストが経典に説示しただけのことで、現実にこの地上に姿を現したことはありません。しかも、「障害者が生まれるのは神の御業が現れる為」(新約聖書『ヨハネによる福音書』9:1-7)とあります。
 つまりこの世はまるで神(ゴッド)の巨大な実験場であり、神は障害を負った子供が大人になるまでの長大な時間を無言・沈黙のまま見つめて、その苦しみは神を喜ばせるための計画、仕組みとして、その障害者は生まれて来たことになります。
 博愛を説きながら理不尽な差別を好み、神を立てれば全てを正当化できるため、キリスト教徒の多い国は、正義の為の殺戮や戦争を好んで行うなど、全てが矛盾の教えです。
 また、キリスト教徒以外は、人として認めないというキリスト教の歴史は、その後もキリスト教徒たちがアフリカの人々を奴隷として狩りだし、南米、北米のインディオを滅ぼし、多くのアジア諸国を植民地として支配するという人類史の悲劇の中で、それらの残虐な行動を肯定するという役割を演じてきました。これを逆の角度からいえば、人々は自分の信じるキリスト教が肯定するから、平然と、残虐な行動をとることができたのです。
 宗教には、高低、浅深がありますが、低い教え、浅い教えが引き起こす悲劇には目を覆うばかりの悲惨な現実があります。まさに、それは、邪宗教と呼ぶべき邪( よこしま)な教えをもって、人類史の悲劇を演出してきたのです。

【4.悲しいファッション:十字架】
   街角に佇( たたず) み、行き交う人々を見ていると、あでやかなファッションに身を包んでビルの谷間を闊歩する若い女性たちの姿が目に付きます。
 それぞれが創意をこらし、ネックレスやイヤリングを身につけ、個性豊かに身を飾る姿は青春の象徴なのでしょうか、見ている私たちの心も明るくなってくるから不思議です。
 また、装飾品の種類も国際色豊かで、アメリカやヨーロッパのものからインドやタイなどのアジア諸国のものまであり、ファッションに国境はないことを知らされてしまいます。しかし、それらの装飾品の中で気にかかるのが、宗教色を帯びた装飾品です。たとえば、十字架などもそのひとつですが、おそらく、女性たちが、その意味も知らずに首からぶら下げているのを見ると、アメリカやヨーロッパのファッションとはいえ、疑問に感じてしまうのも仕方がないといえるのではないでしょうか。
 十字架は、ユダヤ人であったイエスがユダヤ教に反逆し、その罪によって十字架上に磔( はりつけ)にされ、左右の手足を釘によって打ち付けられて、苦しみの中で死んでいった姿を表しています。一見、判官贔屓に見える十字架は、実は、ひとりのユダヤ人が裸で磔に処されて、もだえ苦しみながら十字架上にぶら下がっているという、実にグロテスクな姿を隠しているのです。
 また、この事実を宗教という次元で考えてみると、「我が神、我が神、何ぞ我を見捨て給いし」( マルコによる福音書) と絶望の極みで嘆き苦しんだイエスは哀れではありますが、自らを救うことのできなかったひとりのユダヤ人が、衆生を救う救世主であるわけはありません。それどころか、自らを救うことのできなかったイエスの怨念は、自分の仲間( キリスト教徒) 以外は滅びるだろう( ハルマゲドン)『ヨハネの黙示録』との呪詛を世界に投げかけてもいます。








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