仏 教 の 起 源
【1.仏教と言う言葉】「仏教」という言葉には、「仏の説いた教え」と「仏になる教え」との二つの意味があります。この「仏」についても、仏教ではその経典によって、様々に説き明かされており、必ずしもインド出現の釈尊に限られるものではありません。しかし歴史的に見れば、仏教はインドの釈尊によって初めて説き出されました。【2.仏教成立以前の状況】①文 明紀元前3000年から2500年ごろにかけて、当時インド領に属していたインダス川流域にはインダス文明が栄えていました。インダス文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・中国文明等と共に、人類最初の古代文明の一つであり、当時既に下水道まで完備していたモヘンジョ=ダロとハラッパーの両都市の遺跡は世界に広く知られています。また、当時既に文字を使用していたことも、古代文明の特色として挙げることができます。このインダス文明の中心となった地域は、現在はパキスタン領になっています。 ②民族・人種紀元前2500年ごろのインドには、ドラヴィダ族と言われる人種が広く定着し、そのほかにも多くの人種がそれぞれの地域に住んでいました。紀元前1500年ごろになって、インダス川上流のパンジャーブ地方にアーリア人が侵入し、先住民を征服したことから、次第に自由民(アーリア人)と 隷属 民(ドラヴィダ人など)との区別がつけられるようになりました。③階級制度その後、アーリア人がガンジス川上流地方に移住した頃には、人種間の区別から、職業や地位による厳格な身分の差別が定着し、カースト制度と呼ばれる 四姓制度が確立されました。この四姓とは①バラモン( 婆羅門、司祭) ②クシャトリヤ(王侯、士族) ③ヴァイシャ(庶民、商工層) ④シュードラ( 隷民=アーリア人以外の人種) を言い、「カスト(caste)」とは、ポルトガル語のcasta(血統)に由来するインド社会で歴史的に形成された身分制度です。 このカースト制度は、その後さらに細かく分かれて、その数は四〇〇〇種にもなり、異なった階級の間での結婚はもちろんのこと、食事を共にすることさえも禁じられたのです。 ④バラモン教・ヴェーダ聖典このような社会体制の基盤となったのは、アーリア人による「リグ・ヴェーダ」を根本聖典とするバラモン教でした。アーリア人はもともと宗教的な民族で、大自然の現象を 畏敬し、自然の力を神格化しました。その大自然の神々への賛歌・祈祷・呪法・音楽などをまとめた聖典を「リグ・ヴェーダrigveda」と言います。(「ヴェーダ」とは「神聖な知識」という意味です) この「リグ・ヴェーダ」が基本となって、さらに三つのヴェーダ聖典が作られました。 大聖人様は御書に、この4つのヴェーダを「 四韋陀」と記されています。 このように紀元前1500~500年ごろのインドは、「ヴェーダ時代」とも言われるように、バラモン教が広く行われ、それにつれて四姓制度も深く定着していきました。 ガンジス川で沐浴し、牛を崇めることで知られるヒンドゥー教は、バラモンの思想が基礎となって出来た宗教です。 ⑤その他の思想・宗教長い年月にわたってヴェーダ聖典を尊重する中で、経典「ブラーフマナ」に代表される祭式万能思想が生まれ、さらに知識を重視し、宇宙の根本真理を探究する思想が芽生えてきました。特に、「リグ・ヴェーダ」に端 を発した真理探究の思想は、紀元前800~500年ごろに至って、ウパニシャッド(奥(おう)義(ぎ)書)哲学として結実します。 このウパニシャッドの思想とは、宇宙の根本原理ブラフマン(梵)と個人の存在の根本原理アートマン(我)とが同一であるという「梵我一如」の考えが基本になっています。 この他にも、『開目抄』等に見られる3人のバラモンの行者(三仙)、すなわち 迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆の教えがあり、また釈尊が出現された時代には、中インドで六師外道が勢力を誇っていました。 日蓮大聖人は『三三蔵祈雨事』に、 「外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしが、やうやくわ かれて九十五種なり」(御書876頁) と示し、ここでいう「二天]とは、古代インで崇拝された 摩醯首羅天(大自在天)と毘紐天(自在天)のことです。 バラモンをはじめとする仏教以外の思想については『開目抄』に、 「外道の所詮は内道に入 る即ち最要なり」(御書525頁) と、法華経の開会の立場から内道(仏教)に入るための序段と位置づけられています。 なお、これらの思想・宗教は、いずれも因果の理法が明確でなく、現実から遊離した教えであったために、すべての人を根本的に救済する力はなく、カースト支配の社会体制を改革することもできなかったのです。 【3.外道の偏見思想】釈尊が出現された頃のインドは、思想上の大きな変動期に当たっており、因果に関する考察にもいろいろと種々雑多な説が立てられていました。経典ではそれを 六師 外道(六人の代表的な仏教以外の思想家)とか、三十大外道(三十人の異説をなす者)とか、六十二見(六十二種類の誤った見解)とか種々に整理し伝えており、大聖人の『開目抄』には「九十五種」と示されています。 しかし、これらの思想は、 概ね次の三つに分類できます。 ① 宿 作 因 説 ( 宿 命 論 ) ② 自 在 天 創 造 因 説 ( 神 意 論 ) ③ 無 因 無 縁 説 ( 偶 然 論 ) ①の宿作因説は、判りやすく言えば宿命論・運命論というもので、自分自身を含む一切のものは過去世からの因が元になって出来ており、現在も未来もすべて宿命によって決まるとされます。これは当時のカースト( 四姓)制度の状況下にあって、「ある人はバラモン(婆羅門・司祭者)として生まれ、ある人はクシャトリア(王侯)、ヴァイシャ(商工民)として生まれる、なぜ自分だけがシュードラ(奴隷)なのか」という、どうにもできない悩みに対して、説得力のある答えとして出されたものなのでしょう。 そしてこの宿命論が形を変えて、そこに神の意志というものを見出だすと、②の神意論・自在天創造因説になるわけです。つまり一切万物すべてが絶対的な最高神・自在天によって創造されるというもので、自分自身がどのような身分に生まれようが、それはすべて神の御意、神のなせるわざというものであります。 逆にこれらとは全く意を異にするものが、③の無因無縁説(偶然論)です。この考えは、因果律を認めず、現在についても未来についても人間の在り方に原因結果の法則はないとするものです。 しかしこれらの考えは、三つ共に人間の主体的な因行を否定するものです。つまり、①はすべて宿命として諦めさせ、実生活上の向上・精進の心を失くさせます。 また、②についても、すべて神の御意で決まるのであれば、いかに人間が努力しても意味のないことになります。悪行をなしても善行を積んでもすべて神 によるとするならば、これは既に因果の理法を否定していることになります。当然、③の偶然論は全く人間の努力の効果を認めないもので、現在の無信仰者の考 えに似ています。 よって、これらの考えは、 因果応報の道理に基づく釈尊からは、危険な思想・邪教として排(はい)斥(せき)されることになったのです。 釈尊から否定されたこれら六師外道等の教えは、それぞれバラモン教を踏襲するもの、またそれに対抗するものでありましたが、すべてバラモン教の聖典リグ・ヴェーダにその影響を受けていました。 リグ・ヴェーダには、カピラ( 迦毘羅)・ウルーカ(漚楼僧佉)・リシャバ(勒娑婆)の三仙の説く因果があります。 日蓮大聖人様は、これを『開目抄』に、 「 迦毘羅 ・ 漚楼僧佉 ・ 勒娑婆 、此の三人をば三仙となづく。(中略)其の所説の法門の極理は、或は因中 有果 、或は因中 無果 、或は因中 亦有果 亦無果 等云云」(御書525頁) と紹介され、次下に六師外道と共に因果の理法を説き尽くさないものとして、破折を加えられています。 【4.外道の修行は自己破壊】
さて、これらの六師外道の実践修行は何であったかと言うと、1日に3度ガンジス河に入ったり、あるいは
髪
を抜いたり、
巌
に身を投げたり、あるいは
断食
し、また、身を火にあぶり五体を焼いて真理を求めようとする苦行でした。 また一方、人間の体は地水火風空と精神(
意
)によって構成され、肉体の影響が強い時に迷いが生じ、肉体の影響が弱い時にはそれだけ精神が浄化されるから、肉体を苦しめることによって心が肉体の
束縛
から離れることができると考えたのです。 日蓮正宗機関誌 大白法 平成26年10月16日号より |