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  釈 尊 の 生  涯 に つ い て


  ※若年層でも読みやすいように簡略化してあります 

【1.〝釈迦〟とは種族の名称である】

 釈迦しゃか)とは、現在のネパール地方の南部に住んでいた種族の名前であり、この釈迦族は当時、一種の共和国を形成していたと言われています。まず10人の長を選び、その中から一人の長を選出して、これを王と称していました。この釈迦族の 首府しゅふ)迦毘羅衛城かびらえじょう)と言いました。

【2.釈尊の誕生】

 この釈迦族から出た聖者(ムニ)を尊称して釈迦しゃか)牟尼むに)世尊せそん)と言い、これを略して釈尊と言います。釈尊は迦毘羅衛城の浄飯王じょうぼんのう)を父とし、摩耶まや)夫人ぶにん)を母として誕生しました。 父・浄飯王は太子の誕生を喜び、将来を阿私陀あしだ)仙人せんにん)に占ってもらうことにしました。すると仙人は「この王子は将来、大王となってインドを統率するか、出家したなら偉大な仏になるであろう。しかし、年老いた私はこの王子の成人した姿を見ることができない」と言って涙を流したと言われています。 誕生した悉達多しったるた)太子たいし)が、七歩歩いて「天上てんじょう)天下てんが)唯我ゆいが) 独尊どくそん) 」と言った話は広く知られています。


【3.出 家】

 悉達多太子は幼い頃から聡明そうめい)であり、青年時代には文武両道においても非常に優れていたので、浄飯王は太子に王位を継がせようとしました。しかし太子にはその気持ちはなく、きさき)耶輸やしゅ)陀羅だら) との間に男子 羅睺羅らごら) が生まれたのを機に、出家の道を こころざ)す気持ちが次第に強まっていきました。

 ある時、太子は四方の城門から遊楽ゆうらく)に出ることになりました。ところが最初に、東の門から出ると老人に会い、次に南の門より出ると病人に会い、西の門から出ると死者に会いました。そのたびに快楽の欲望を失い、ますます俗世ぞくせ)嫌気いやけ)が差した太子が最後に北の門から出ると、身も心も清浄な一人の出家者に出会いました。そこにまさ)しく自分の理想の姿を見出した太子は、この時出家の意志を固めたのです。これを四門 しもん ) 出遊 しゅつゆう ) 遊観 ゆうかん ) )」と言います。



【4.成 道】

 王宮おうぐう)を出た太子は、王からつか)わされた阿若あにゃ)きょう)陳如じんにょ) 等五人の 比丘びく)と共に、初めは阿羅あら)邏迦らか)らん)優陀うだ)羅羅らら)摩子まし) という二人の仙人について修行したと言われていますが、それによって悟りを得ることはできませんでした。
 その後、12年間にわたってあらゆる苦行を修めましたが、快楽に溺(おぼ)れるのと同様に、 極端きょくたん)な苦行もまた無意味なことを悟り、仏陀ぶっだ)伽耶がや) の近くにある 尼連にれん)禅河ぜんが)沐浴もくよく)し、牧女もくにょ)ほう)じた乳粥ちちがゆ)を食べて元気を恢復かいふく)しました。これを見た五人の比丘たちは、釈尊が退転したと思い、皆その場を去っていきました。その後、釈尊は菩提樹ぼだいじゅ)の下の金剛こんごう)宝座ほうざ)に座して沈思ちんし)黙想もくそう)の末、ついに悟りを開き、ここに仏陀ぶっだ)(覚者)となったのです。時に三十歳でした。この時、伽耶がや)という町で仏陀が悟りを開いたということから、以後この地を仏陀伽耶と呼ぶようになったのです。


【5.転法輪】

 釈尊は成道じょうどう) したその座で21日間 華厳経けごんぎょう)を説き、その後、波羅奈国はらなこく)鹿野苑ろくやおん) に行き、釈尊が苦行を )てたとき、その元を去った五人をまず最初に教化し弟子としました。次いで、仏陀伽耶方面へ行き、迦葉かしょう) 三兄弟を弟子とし、進んでマカダ国の 王舎城おうしゃじょう) へ入り、そこで 舎利弗しゃりほつ)目犍連もっけんれん) の二大弟子をはじめ、多くの人々を教化する一方、 頻婆娑びんばしゃ)羅王らおう) によって 竹林ちくりん)精舎しょうじゃ)、また舎衛国しゃえこく)須達しゅだつ)長者ちょうじゃ)によって祇園ぎおん)精舎しょうじゃ)供養くよう)され教団は大いに興隆こうりゅう)しました。

 故郷の迦毘羅衛城に帰ったときは、 従弟いとこ)阿難あなん) 、釈尊の子・羅睺羅、義母の 摩訶まか)波闍はじゃ)波提はだい)、妃の耶輸陀羅等、多くの同族が弟子となりましたが、阿難の兄、提婆だいば)達多だった) は、マカダ国の太子 阿闍世あじゃせ)結託けったく)して釈尊の化導を妨害ぼうがい)しました。このような九横くおう)大難だいなん)と言われる法難に)いながら法を説き、最後にマカダ国の霊鷲山りょうじゅせん) で、 出世しゅっせ)本懐ほんがい)である法華経ほけきょう) を説き明かしたのです。


【6.涅 槃】

 50年間の説法教化の後、拘尸那くしな)掲羅がら)沙羅しゃら)双樹そうじゅ) の下で、2月15日、80歳で 入滅にゅうめつ)されました。これを涅槃ねはん)と言います。


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【八相成道】

 仏が衆生を救うために、御一生のうちに現わされた八つの姿を 八相はっそう)成道じょうどう)と言います。八相成道とは、①下天げてん)都率天とそつてん)より降下こうげ)すること)、②託胎たくたい)(母の胎内たいない)に宿ること)、③出胎しゅったい)出生しゅっしょう)すること)、④出家(家を出て修行の道に入ること)、⑤降魔ごうま)(悟りをさまた)げる魔を断破だんぱ)すること)、⑥成道(悟りを開くこと)、⑦転法輪(説法をして衆生を教化すること)、⑧入涅槃にゅうねはん)(説法を終えて入滅すること)です。

 私たちは、この八相成道を示された釈尊の真実の目的が、法華経を説くためであったことを わす)れてはなりません。











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