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「一家で創価学会を脱会、日蓮正宗に戻れた幸せ」20グループ:松本憲大 





  私は常生寺20Gの松本と申します。
 私は元創価学会二世であります。私が当時男子部として活動始めた頃は、25年程前で、日蓮正宗から破門されて2年程たった頃です。御本尊下付 ができない状況もあり、ニューメンバーたる外部の友人等を入会させる活動がメインでありました。
  当然ながら新聞啓蒙、選挙期間であればF活動また携帯電話の普及もあってか昼夜関係なく連絡がくるようになり、毎晩のように部長宅に行き、遅い時は2時3時まで打ち合わせや時には 幹部に指導を受ける日々でした。睡眠不足もたたり、仕事でもミスをおかすようになり、信心の活動をしているのにと自問自答する日々でした。
  そんな中、ついに学会から御本尊下付ができることになりあのニセ本尊が組織に広まり始めました。幸い私の自宅は日達猊下様の御本尊であり、母は変える気は無いとのことでしたので、本当に良かったと思えるのですが、男子部幹部たちは大半が日顕猊下様の御本尊であり何の躊躇も無くとりかえる状況でした。周辺では様々な悪い現証が起こり、活動自体に不信を感じたことを今でもはっきり覚えてます。
 その後数年間、仕事と学会活動の日々が続く中、ある時から体に異変がでるようになり、大学病院で検査してもはっきりした原因がわからず、最終的には自律神経が原因ではないかとのことでした。体を起こすことも できず、8年務めた会社も退職し、同時に学会組織からも離れていくようになりました。
 御本尊様の凄さは、幼い頃から実感していたのですが、組織の活動はどうしても進んで励むことができず、結局昨年に至るまでまともに活動することはありませんでした。
仕事においては、病気を発症した後、数年間は派遣社員として定時にあがる生活をし、十年程、昨年までいた会社に勤めていました。
 不思議と組織につかない十年間の方が健康で精神的にも充実した生活をおくれました。ただこの時はまだ、学会が誤ってるとはみじんも思いませんでした。
 昨年春に勤めていた会社から独立し、自営としてスタートしたのですが、なかなか厳し状況が続き、世の中の厳しさを再認識し、このままではとの思いで、久しぶりに御本尊(ニセ本尊)の前に座り唱題を始めました。
 しかしなかなか状況は改善されず、それにもまして、いくら唱題をあげても心が晴れないことに疑問を持ち、昔、実家で唱題をあげていた時もっと歓喜あふれる気持ちになれたのに、なぜ今はそうならないのか、 やはり広宣流布の行動が伴ってない為かと、自問自答するも、どうしても学会活動だけはする気にはなれず、仕事も暇なせいか、事務所で一人ユーチューブばかり見ていました。たまたま学会関係を検索したら、ニセ本尊と叫んで学会を批判している茶髪の中年のおじさんの動画が目に飛び込んできて、(この人頭おかしいな、学会が間違えてるわけないだろう)と活動はする気はないのに、学会が間違ってるとは絶対に思えない 自分がそこにはまだいました。
 しかしこの樋田昌志さんの動画を見ていくたびに妙に心に突き刺さってくるのを感じ、およそ半年間、仕事の合間に動画を見続けました。そして自分の中での正邪がはっきりしたので、思い切ってお寺を訪ねてまずはご住職様にお話しを伺ってみようと思い、本年2月11日に現場帰りに作業服のまま、ここ常生寺に飛び込む決意で門をたたきました。
 やはり多少の不安はあったものの、何か懐かしさを感じ、そしてご住職様にお会いし、すぐさま吉田みどりさんの紹介で勧戒を受けさせて頂きました。本当にありがとうございました。勧戒の意味すら知らない状況でしたが、お寺でお題目をあげていると妙に腹が決まり正法に戻ってこれた喜びと学会時代には感じたことのない歓喜を実感致しました。
 改めて思ったのですが、やはりまぎれもなく学会の本尊はニセ物です。そして勧戒からまもなく皆様のご配慮をたまわり2月26日に総本山大石寺、本門戒壇の大御本尊様に参詣させて頂くことができました。本当にありがとうございました。実に26年ぶりで、学会時代は2度参詣させて頂いたのですが、あまりに遠い座席で、形すらはっきり見えない状況でしたので、今回初めての奉安堂で、しかも中央の最前列に近い位置から大御本尊様を排したとき正しい仏法の根本はまさにここにあると、心の底から実感することができました。
 その後もたびたびお寺にて唱題していく中、やはりこのすばらしい信心を広めていかなければいけない、広宣流布への行動を起こすことこそが本来の使命だと、みなさんの行動をみて感じ、共に行動させて頂こうと 思いました。
 その中で、学会時代には経験の無い、訪問折伏や駅での街頭折伏は私にとってとても衝撃的でした。訪問折伏では、皆さんが一軒一軒ドアをならし、真剣に語っている姿をただ後ろで見ているのが精いっぱいで、街頭折伏でもなかなか通行人に声をかけられず、なんと自分は臆病なのかと皆さんの行動を見て感じさせられました。
 御書の諸法実相抄の一説のなかに「力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」とあるように勇気をもって語り人々を救っていかなければならないとの思いで、まずは妻と母を必ず正法につかせる決意を致しました。 二人とも学会員で、特に母は信心強情で、始めはなかなか話を聞いてくれなかったのですが、ことあるごとに実家によった時は日蓮正宗の正しさをうったえていく中、少しづつ理解を示し、本年7月9日に妻と母の勧戒及び息子の御授戒を受けさせることができました。ありがとうございました。
 また翌月には妻の母と弟も勧戒を受けさせることができました。ありがとうございました。簡単にできることではありませんが、あきらめず、御本尊様に祈り、勇気をもって語っていけば必ず成就するんだと確信することができました。
 また仕事の方も4月5月と独立してから、激ヒマな日々が続き、これが罪障かと必ず乗り越える決意で唱題に励んだ結果、別の取引先から今までの同じ内容の業務で、2倍の単価の受注が増え始め、今では体が追い付かない状況ですが、これが正しい仏法の功徳なんだと身震いしながら実感致しました。
 私は、昭和49年3月20日に御受戒をうけさせて頂いているのですが、あとで母から聞いたのですが、実はここ常生寺でまだ0歳の私を当時まだ未入信の父の目を盗み川口から歩いて連れてもらった話を聞き44年ぶりに帰ってこれた喜びと偶然とは言えない使命を感じました。
そして先週の26日には本年4度目の総本山参詣を最後は、妻と息子と母と行くことができ、自分が勧戒を受けさせてもらった当初には想像もつかない結果となりました。本当に感謝の思いしかありません。
 しかし私は、皆さんと違い長い年月学会という謗法時代を過ごしている為、もっともっと頑張らなければ罪障消滅できないと自負しております。
 今日まで、3名の友人に仏法対話をしてきました。特に幼馴染である友人には、学会のニセお守りご本尊を渡しており何としても正法につかせ救ってあげなければと思うも、現状ではお寺に連れてくることすらできません。 折伏とは本当に難しいことです。一人では絶対に続きません。だからこそ支部の皆さまと異体同心の心を常に身で感じていくことがもっとも大事なことだと思います。
今年ものこりわずかですが、支部誓願達成に向け法華溝常生寺支部の一員とし平野御住職のもと正法を一文一句語って一人でも多く折伏成就していきたいと思っております。
 短い文章でうまくまとまらずお聞き苦しい点があったかと思いますが、まずはこの発表の場を頂いたことに感謝し、皆さんにくっついて微力ながら頑張らせて頂く決意ですので、これからもどうぞ宜しくお願い致します。ご清聴ありがとうございました。                                
   

               





   

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