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 【妙智会教団】 典型的な詐欺思想〝霊界が日常生活を支配〟 


【1.子どもの人身事故すら脅し材料にする】
 妙智会の教祖・宮本ミツは、「不幸や苦しみは先祖の霊が苦しんでいるためであり、日常生活は霊界が支配していたり、霊界が現実生活に深く関わっている」と説いている。
 宮本ミツは仏教系在家教団を名乗りながら、仏教の基本すらわきまえていない。ミツは霊友会に入会した当初、「因縁を下げる」のをよく見たと語っている。「はじめてだったものですからびっくりしてしまって、〝いやあ、これはおっかない、なにものだろう? 狐か狸がやってんだな〟と悪くとってしまい、狸がどっかに飼ってあるんだろうと思って、お宮の中が見たくて」(宮本ミツ『道』)と狐や狸が憑依(ひょうい)した現象を目の当たりにした驚きを語ってる。
 しかし、この現象はミツが妙智會を作ってからも表われ「来る人来る人因縁をとると、来た人がみんな因縁(霊媒)になっちゃうんです。タヌキが出てきて腹鼓をうったり、ヘビが出てきて這い回ったりするんです」(同上)と語り、この種の憑依現象を動物霊だと解釈している。
 しかし、このような現象は、ミツが語るような動物霊などではなく、稲荷信仰や犬神信仰などの畜生を信仰の対象とした人々が、その獣と感応道交し、俗語でいう憑依したかのような異常な言動や行動を起こすもので、精神病理学でも多くの症例が報告されている。
 多くの新興宗教がこれらの憑依現象を霊魂が存在する証明として用い布教に利用してきたが、前述したように現在の精神病理学では、これらの現象を憑依という概念でくくっている。
 しかし、正しい仏教観では、三世にわたる永遠の生命観を説き、色心(肉体と精神)は一如(一体で不可分な様子)であることが明かされて、特別な霊魂などが存在しないことを明示されている。すなわち、不幸や災害は、霊魂(悪霊)によってもたらされるのではなく、自らの心身両面にわたる行為の因果によって起こるのである。したがって、「霊魂」が独立した形をもって、人に災いをもたらしたり、子孫を護るなどの特別なはたらきを説く、「御霊信仰」や新興宗教などの霊魂説は、真実の生命論とかけ離れた迷信というべきである。
 いわゆる在家仏教教団と称する多くの新興宗教では、この仏教の基本を理解しているところは無く、この妙智會もそうである。例えば、「子どもの人身事故は、いたましいものである。子どもは、おおぜいの先祖を成仏させるための身がわりとなっている」(宮本ミツ『心に 花を』)=ここでミツがいいたいのは、「先祖の霊を粗末にしているために、先祖が霊界で苦しんでいる」ということ。そのため、子どもが人身事故にあったのだから、妙智会による先祖供養をしなければならない、という論法に向かい、仏教の基本を知らぬ邪義に進んでいく。


【2.法華経で禁止されている〝デタラメな本尊〟を祀る】
 当然、妙智會の教義は霊友会の受け売りとミツの思いつきを付け加えたデタラメなものである。
 妙智會では、霊友会の受け売りとして教義の根本を一応は法華経としてるが、教団は『仏舎利』を本尊としている。これは、法華経法師品には「復(また)舎利を安んずることを須(もち)いず」禁止行為である事が明確である。
 さらに、教団では、『三宝荒神』(仏法僧を守護して悪人を罰するという神)を祀(まつ)っていますが、法華経には「三宝荒神を祀れ」とは説かれておらず、日蓮大聖人の御書のどこにもそのようなことは示されていない。三宝荒神などは民間信仰の竈(かまど)の神に過ぎないものでら、これもミツの思いつきからきた神であろう。
 このように妙智會の説く教義は法華経とは似ても似つかぬデタラメのオンパレードである。 仏教では末法という言葉がよく使われるが、末法とは釈尊が入滅して後、二千年後の時代を意味する言葉である。末法の「末」 とは、漢文では否定形として用いられ、末法とは、釈尊の法(白法)がなくなった時代、釈尊の法が効力を失った時代のことを指す。釈尊が入滅して後、二千年後、釈尊が説かれた教えに人々を救う力がなくなり、経巻のみがあるだけで、正しい修行も功徳もなくなり、自然災害が多発し、不治の病が流行し、人々の間では争いの絶えない時代が訪れると経巻には説かれています。
 釈尊は五十年間にわたり法を説きましたが、最後の八年間に自分自身がこの世に出現した一番の目的である最も重要な法法こそが法華経だったのである。法華経には、その仏は、末法に現れて法を説くが、ある時は、しばしば所を追われ、また、ある時は、時の権力者や出家在家の人々に迫害を受け、石を投げられ、杖で打たれ、あまつさえ、刀の難まで受けられながら、一切衆生を成 仏に導き、幸せにする法を説いていくと説かれている。その仏は、末法の衆生の闇を払い、人々が持っている尊い命を輝かせる大白法を所持され、その法を説くために、いかなる難も忍ばれるのある。

 日蓮大聖人は、末法の一切衆生を救うために、法華経に予証された通り、数多くの法難に遭いながら、唯一無二の法を説かれた。そのお振る舞いは、まさに、法華経に説かれたそのままを身をもって行じられ、まさに、末法の仏様であることをその行動によって証明されたのである。
 


【創 立】
 
1950年(昭和5)年1月
【創始者】宮本ミツ・宮本孝平
【代表者】宮本丈靖
【信仰の対象】
 
『仏舎利』 『三宝荒神』
【教 典】
 
『在家法華経』『忍善』  
【本 部】
東京都渋谷区代々木3-3-3号
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 宮本ミツは大正6年、17歳で宮本孝平と結婚、当時、孝平は本門仏立講の信者だったので、ミツも本門仏立講の信者となる。
 ところが、夫の事業の失敗、ミツの重病が重なり、題目を唱えるも好転せず、生活は困窮。昭和9年、ミツの兄の勧めにより、夫婦は共に本門仏立講を捨て、霊友会に入会。2人は着物を質に入れたり、家財道具を売り払って信仰活動に専念し、孝平は昭和11年の暮れには第7支部長に、翌年には常務理事に任命され、ミツも同年、本部勤めに抜粋された。このときの第7支部は霊友会の中でも最大の支部となった。
 昭和20年11月13日、孝平は縁談をまとめた振舞酒を飲み、さらに2合ほどの祝い酒を手みやげに自宅に帰り上機嫌だったところ急に胃痛を訴え、七転八倒の苦しみの中、死去した。
 昭和24年、霊友会会長、小谷キミの金塊・コカイン隠匿事件、翌年の麻薬事件などを機にミツは養子武保と次女の夫斉藤栄一らと相談の上、昭和25年8月25日に霊友会を脱会、ところが、それから2か月後の10月12日、渋谷区代々木に「宗教法人妙智會教団」の看板を掲げた。

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