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 【幸福の科学】〝通称:邪宗の総合商社(邪義の寄せ集め) 


【1.立教の不純な動機】
 この教団は、初めから作為的なところがあった。中川親子の家業として成功したに過ぎないという人もいる。主宰・大川が ( れい ) ( ばい ) ( しゃ ) に仕上がったのは、霊友会の久保角太郎や立正佼成会の庭野日敬、あるいは大本教の出口王仁三郎のように、ひとえに、父・忠義の手腕によるものと思われる。初めの頃の出版物をみれば、そのことがよく判る。
 「日蓮の霊言」から始まって、空海・キリスト・天照大神・ソクラテス・坂本龍馬・ ( ) ( ) ( ) 等 の霊言集は、すべて善川三郎(父・忠義のペンネーム)の編として発刊され、しかも語り主である主宰・大川と編者善川との父子関係を一切伏せている。知られたくない裏事情があったのではなかろうか。霊言集の売れゆきが想像以上に当たったのをみて、その後はほとんど大川隆法の名で発刊している。つまり、計画が成功し、家業が軌道に乗ったということである。

【2.中味のない霊言集】
 「善川─天照大神様であられますかー。天照─天照とは私のことでございます」
 「ノストラダムス『ノストラダムスですよ』─あなたは予言者ノストラダムス様ですか。ノストラダムス『そうです』」 
等と、
 冒頭必ずといっていい程、このような形で霊言集は始まっている。
 どの本を読んでも中味が全く無く、2.3ページも読めば放置したくなるような内容である。例えば、空海・親鸞・道元等の霊言だというならば、彼等の自宗開教時の思惑等を語ったものと誰もが思うはずだが、何一つそういう内容は掲載されていない。「日蓮聖人霊示集」(大川隆法著)はその典型ともいえる=職業・ 病気・恋愛・結婚・夫婦・人生等の悩みに対し、大川流指導を施して、日蓮聖人霊示集だというのですから甚だ呆れるばかりである。当然ながら、そこには一片の御書(日蓮大聖人のご金言)も出てこない。

【3.寄せ集めの教団】
 過去には生長の家がデパート教団(各宗派寄せ集め教義)といわれてきたが、今の幸福の科学はその比ではない。「宗教であって宗教でない」と自ら力説するだけに、その意味では面目躍如たるものがある。
 この教団は、教義をGLA、書籍販売を生長の家、派手な宣伝を阿含宗、そして会員の試験制度を創価学会に似せたようである。否、そうした過去を持つ者たちが集まって作った教団という見方が正しいと言える。
 一例は、幸福の科学総合本部長・小澤利夫氏の場合。
 彼は、茨城県水海道市で公明党市議を五期も努めた人物で、組織では副理事まで経験をした人といわれている。


【4.基本教義は低次元】
 仏教では四諦法門(苦・集・滅・道)の道諦において、八正道の実践を説いている。これは、声聞乗の人たちに、涅槃に至る方法として教えた、いわゆる小乗の教えである。
 幸福の科学では、この八正道を道徳的内容に置きかえ、真説・八正道等と称して、いかにも現代人の道標(みちしるべ)のように説明している。
 この八正道の仏語に似せて作ったと思われる用語に、 ( よん ) ( しょう ) ( どう ) というものがあるが、四をシといわず、ヨンと発音するのもパフォーマンス目的であろう。
 教団の四正道とは、「愛・知・反省・発展」の四つのことをいい、この教団の根本的基本原理としているが、全て低次元な教義である(以下にその詳細を述べる)。

【5.教団の「四正道:愛」のずるさ】
○本能の愛……家族愛。異性愛。
○愛する愛……隣人愛(与える愛の出発点)。
○生かす愛……知性・理性の愛。
○許す愛………菩薩の愛。汝の敵を愛する境地。
○救世主の愛…キリストの愛。大川の愛。

 幸福の源泉は愛にあって、しかも与える愛によってのみ幸福は得られると力説している。
 全体にキリスト教の博愛主義を借用しながら、最後の愛には、 ( しゅ ) ( さい ) ・大川の愛を忘れず置いてあるところ等は、ずるく何とも抜け目がない。

【6.教団の四正道:のずるさ
 この教団では、この世を現象界、あの世を実在界と呼び、実在界を神霊の住む真実の世界としいる。その真実の世界には神理というものがあり、「人間はその神理を学ばなければならない。学ぶことによって神理を覚知する」ということを「知」、といっている。
 「知」には次のような段階があるとしている。
 第一段階……知の目覚め(阿羅漢の知)
 第二段階……知の確立(不動の知)
 第三段階……知が愛へ変化(菩薩の知)
 第四段階……知の思想化(如来の知=大川の知)

 これは神智学、あるいは心霊学等で学んだ霊界思想に、むりやり仏教用語を当てはめたものである。ここでも最高位に主宰・大川を ( ) えるあたり、かなりのずるさと強引さが目立つ。

【7.教団の「四正道:反省」の思想混乱
「人間は、心に塵や垢がたまり、それが元で不幸になっている」「心の塵・垢を ( はら ) うには反省が第一、反省こそが神意であって、その行為によって悪霊が遠ざかり、守護霊の加護が強まる」としている。そして、その反省方法を「釈尊の八正道を実行することにある」としている。
 あまりにも、種々なものを寄せ集めすぎたせいか、思想的に極度に混乱している様子が判る。

【8.教団の「四正道:発展」の無意味さ
「発展とは、神に近づくことであり、愛の発展イコール幸福、つまり、愛の自己増殖する姿を発展」と言っているが、少なくとも一般世間で使う発展の意味とは違うことだけは確か。
 ともあれ、人生を明るく積極的に、しかも何でも前向きにという光明思想が、発展の必要条件のようで、これも、生長の家の「人類光明化運動」、あるいは「光明思想」をマネたものにすぎない。

【9.真似と寄せ集めとビジネス本意の混濁宗教
 以上がこの教団の基本理念と言われる四正道。神学と仏教、そして流行の心霊学、大川の個人思想を 攪拌 ( かくはん ) して仕上げた、言わば「ちゃんこ鍋の中に、西洋料理・ケーキ・風邪薬・目薬・ガソリン・鉄・砂などを無造作に混ぜたような混濁宗教」それが今日の「幸福の科学」といってよい。
 この教団で使われている用語は、新興宗教・GLAのものが多くあるが、それは父・忠義と主宰・大川が、以前GLAに深くかかわっていたからである。
 例えば、転生輪廻、これは仏教的には輪廻転生と言うが、このように逆転させたのは他ならぬGLAの教祖高橋信次だといわれている。それを幸福の科学はそのまま借用したのである。
 そのほか神理・実在界と現象界・想念帯・反省・八正道等の用語も、すべてGLAからの拝借、霊界思想もまた同じことである。
 霊界といわれる次元構造、いわゆる霊界の多次元構造は、実は GLAの焼き直しに多少手を加えた代物といってよい。霊界思想は、もともとインド・ドイツ・イギリス・アメリカ等に広まった神智学の意識階層に端 を発するといわれる。
 GLAの外に、生長の家の思想もかなり利用されている。形式上では書籍販売宗教の樹立、誌友会員の名称等が、生長の家そっくりそのまま、教義の内容としては生長の家の万教帰一、実相、光明思想が乱用されている。
 さて、次に主宰・大川と霊言との結びつきについて言及してみる。
 神智学、いわゆる霊知学は、ロシアの女霊媒師ブラバッキーによって1875年協会が設立されたことに始まる。その後、インド、ドイツ、イギリス等を経て日本に伝わってゆくが、それを日本へ受入した一人者は浅野和三郎という人である。彼は、既に霊学を心得ていた大本教の出口王仁三郎に師事して日本の霊道を学びながら西洋の神智学を受容し研究した。しかし、彼は大本教に第一次弾圧事件が起きたのを機に同僚だった谷口雅春等と脱退、新しく心霊学研究所を開設し、谷口が開教した生長の家の思想に父・忠義が感化され、初めは自分自身に霊示があったことを著書の中にも書いている。
 そして、長男が始めた太陽学園という学習塾が、開校後間もなく長男の病気で閉鎖、自分の事業も失敗、こうした二重三重の苦が重なった時、出版業を、しかも谷口雅春式出版業を想起させたのではなかろうか。その頃は、生長の家よりもGLAの高橋信次に指導を受けていたので、当然GLAの影響が強くなっていった。GLAの高橋も、何かの形で神智学系統を学んでいたものと思われ、GLAそして生長の家、父が両者から得たエキスが子の大川隆法に注入され、隆法特有の霊界:霊言が出来上がったのである。
 そして彼等親子には、出口王仁三郎の「霊界物語」、浅野和三郎の「霊界通信」による思想等が大きく影響を与えており、スウェーデンボルグの「霊界探訪記」や「霊界日記・夢日記」も参考にしていることがわかる。

 

【10.幸福の科学は仏教への「摧尊入卑」である
「摧尊入卑」とは、 (とうと)きを(くじ)き、(いや) しきに入れると読む。つまり、〝尊く立派なもの〟を、〝つまらない下品なもの〟の中へ入れてしまうということである。
 大川隆法の「霊言集」は、まさに摧尊入卑そのもの。
 幸福の科学の宗教としての不純性は、既に設立経緯のところで述べたが、「霊言集」もまた、不純そのもの。
 「霊言集」の表紙に使った有名人の名前は、単なる自説の著が、どうしたら大勢の人目に () まるかということを考えた末、その宣伝に利用したにすぎない。

 大川本人自ら次のように言っている。
「別に霊言集で問わなくとも、私が書いてもかまわないのですが……大川隆法の名前で文章を書き、発表しただけでは、世の人々はなかなか信じてくれない。……そういうことでもって、第一段階として今霊言集を続々と世に問うているわけです」(新・幸福の科学入門)
 「霊言集」に利用された人物=キリスト、釈迦、孔子、モーゼ、ノストラダムス、ニュートン、天照大神、卑弥呼、紫式部、親鸞、道元、坂本龍馬、出口王仁三郎、内村鑑三、ピカソ、谷口雅春、高橋信次、そして日蓮大聖人等その他多数、洋の東西を問わず、無制限に利用している。

 表紙の名前は変えても、中味は皆ごちゃまぜ、大川隆法の稚拙珍説あるのみ。
 各宗派の教祖を利用した理由は、関係宗派の信徒・会員の関心を引き、購読メンバーを増やすためである。一般の人であっても、「孔子がどんなことを、また、紫式部がなんといってるだろう」などと、まさかと思いつつも、一度は (のぞ) いてみたくなる、そんな人間の心理を上手に利用したものである。霊として登場する人たちの知恵とか言い分は全く無視されており、大川隆法の考えを、ただ、霊に代弁させているだけなのです。
 以下に、摧尊入卑の代表的なものを二つ取り上げてみる。

 ○大川の偽「一念三千」
まず大川隆法の発言(妄言)を紹介。
「いまから、一千数百年前に、天台 智顗 ( ちぎ ) が、中国の天台山で一念三千論を説いていたのですが、そのとき、霊天上界において、彼を指導していたのは、実は、ほかならぬこの私でした。私がそのとき天台大師に伝えた内容は、だいたい、つぎのようなものでした」
 これは幸福の科学三部作、しかも中心的教義書といわれる『太陽の法』の一節(珍説)である。そして、天台大師に伝えた内容とは、
「思い→想い→ ( おも ) いとだんだんに力を得てくるおも いの力があるわけですが、……人の心には念いの針というものがある。この念いの針は、一日のうちで、さまざまな方向を指し示し、揺れ動いて、とまるところ を知らない。……人の念いの針は、すなわち、これ一念三千、あの世の天国地獄に、即座に通じてしまうのだ」(太陽の法)
とのことです。他所では次のようにも言っている。
「人間の思いの性質、念の性質、これがどこにでも通じるという性質のことを、一念三千といいます。 三千というのは、割り切れない数、すなわち、数多いという意味です。」(幸福瞑想法)
 これが大川流〝一念三千〟である。 ( ほう ) ( ふく ) ( ぜっ ) ( とう ) とは、まさにこのことである。天台大師も大変な変人(大川)に取り ( ) かれたような表現である。
 大川の「霊言集」には、仏教の一念三千の内容等はどこにも出ていない。
 真の一念三千は、正しい仏教では次のように説かれている(日蓮大聖人:一念三千法門)。
「十界の衆生・各互ひに十界を具足す、合すれば百界なり。百界に各々十如を具すれば千如なり。此の千如是に 衆生世間・国土世間・五 ( おん ) 世間を具すれば三千なり」
 すなわち十界互具・百界千如・三千世間と広がる心をもつ衆生の一念を、一心三観・一念三千というのである。また、天台は理の一念三千、大聖人様は事の一念三千という区別もあるが、詳しい説明はここでは省く。
 ともかく、法華経の最も大事な教義を、このような浅識によって軽んじてしまう、これを「摧尊入卑」という=仏教ではこれを十四誹謗のとして、その罪、大なるものがあると説いている。

 ○大川の偽「八正道」
 真説・八正道と名づけて、幸福の科学は独自の論を立てているが、仏教で説く八正道とは似て非なるものである。真説=珍説と呼ぶ方がふさわしい。
「天台大師よ、八正道はまさしくこの一念三千論を基礎として生まれたのである」(太陽の法)
との大川隆法自身の発言がある。
 そもそも、八正道とは、仏道修行を基本とし、人それぞれが理想の境地に達するための八つの実践徳目のこと=仏の悟った実相たる 四諦 ( したい ) (苦・集・滅・道)の理を正しく見る正見(一)、そして四諦の道理を正しく 思惟 ( しゆい ) (二)し、その道理を語るに正しい言葉で伝える正語(三)、日常にあってはそれを根本としながら正しい振る舞いをする正業(四)、また心身を ( きよ ) め、 しかも正しい理法に合致した生活をする正命(五)、この実践が、より一層理想の境地に近づけるよう励む正精進(六)、そしてどこまでも正道を全うしたいと 念じ続ける正念(七)、終には迷いのない、常に清い禅定の心を持ち続ける正定(八)というのが、仏説の八正道であり、仏道修行の規範として説かれたものである。
 しかし、それを幸福の科学では次のように説明している。
 自分は、正しくものごとを見たか(正見)、正しく語ったか(正語)、正しく思ったか(正思惟)、正しく仕事をしたか(正業)、正しく生活をしたか(正 命)、正しく神理を学んでいるか(正精進)、正しい人生計画をもっているか(正念)、正しい精神統一の時間をもっているか(正定)、というものです。
 八正道を単なる日常訓話に改悪、仏教的意義を捨てる真(珍)説、これも「摧尊入卑」である。

 

 ○大川の霊言集」は完全な妄想
 例言衆参考迄に医学事典には「解釈妄想、意味妄想、虚言症、夢幻症、誇大妄想」等の病名があるが、大川隆法が、この中のどれかの病気に (かか) っているように思える。
 自称エル・カンターレ(大川隆法)は次のように言った。
 「私は過去の聖者達が思ったこと、行ったこと、考えたこと、悟ったことが、手に取るようにわかるようになりました」(太陽の法)
 「私には、釈迦が菩提樹の下でひらいた悟りの内容がどのようなものであったかが、手に取るようにわかってしまいます」(同)
 「諸々の比丘、比丘尼たちよ、我はここに再誕す。我が再誕を喜べ、我が再誕に気づけ」(仏陀誕生)

『法華経方便品』には
「此の ( ともがら ) は罪根深重に、 ( およ ) び増上慢にして、 ( いま ) ( ) ざるを得たりと ( おも ) い、未だ ( しょう ) せざるを證せりと謂えり』
とある通り、大川の罪は甚大である。

 また、大川隆法に、日興上人が「イイシラセ」をした、という珍通信は前に述べた通り、そのあと続いて、あろうことは日蓮大聖人から次のような通信があったとも言う。
「聖人の私に対する最初の教えは、『人を愛し、人を生かし、人を許せ』という三つのことばでした」(太陽の法)
 このようなことをどうして日蓮大聖人が、大川ごときに通信するものか、と怒りたくなるが、大川隆法はチャッカリその裏付けも作っているのである。
「日蓮聖人は、現在私の直接の守護霊役、あるいは指導霊役を務めてくださっている関係上、ほぼ毎日、聖人とは話しをしております」(黄金の法)
 これは、「大川隆法の中だけに住む霊」であるから、当然の如く、夢・妄想の中に遊ぶ会話、と理解すればよい。
 『日蓮聖人霊示集』のまえがきでは、こんなこともいっている。
「相手の現状を千里眼と宿命通力で分析したあと、日蓮聖人におうかがいを立て、霊言として回答を……」
 これでみると、大川隆法はかなり通力も心得ているように言っているが、日蓮大聖人は、

「魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」(唱法華題目抄)

と御指南がある通り、さぞ、大川は大聖人に叱られているはずだ。
 守護霊であり、回答を下さる指導霊役、と大聖人を持ち上げる一方で、反対に大聖人をも批判しているのである。
「法華経至上主義についてですが、釈迦の教えは何百何千の法門があり、法華経のみが正しく、他の教典は真理を伝えていないという考えは、間違っております」(黄金の法)
 釈迦の再誕だと豪語するわりには、「四十余年未顕真実」という言葉を知らない、なんとも情けないホトケ?である。また、

「日蓮の他宗排撃は、真理流布に急であった面は評価できますが、他宗を正邪の邪としたのは、間違っています」(同)
 ↑このように、大聖人の四箇の格言を侮り、立正安国の為の破邪顕正、これが大聖人の終生変わらぬ折伏精神であったことを大川隆法は全く知らないいのだが、これもGLA高橋信次の受け売りである。
 また、元GLAの大幹部だった園頭広周が、ある本の中で次のように書いている。
「『南無妙法蓮華経』でないと救われないといわれた日蓮上人は、その余りにも強い正義感のために七百年間地獄に行かれた、と高橋信次先生はいわれている」
 ↑GLAのこれもまた抱腹絶倒の大謗法、何をかいわんや。

 大聖人に対して、「法華経を信じて題目を唱えることしか民衆に説き得なかった」と霊友会が言えば、「日蓮聖人を本仏とするのは、けっきょく〈法〉を忘れ て〈人〉に依っている」と立正佼成会も加勢する。そして今またGLAと幸福の科学が悪口雑言をもって大聖人を侮辱する姿は、まさに仏罰をも恐れぬ大僻人といえる。

 更に許せぬことは、大聖人御自身が、あたかも語ったように書かれた次の一文がある。
「これのみが〝正法〟という形では決して説いてはなりません。私と同じ過ちを犯します。他の教えも立派な教えでありましょうが、私たちは、このように考えます。という控えめな態度、考えというものを忘れてはならない」(日蓮の霊言)
 ↑言語道断!詐欺謗法そのものである!

 死人に口無しを極限に利用し、仏教に無知な人たちが、このようなことを信じ、世間が仏教を誤解させ、そして宗教そのものを ( もてあそ ) ぶ彼等の大罪は未来永劫に消えない。

 

【結 論】
 幸福の科学は、なぜ初めの霊言集が日蓮聖人で、しかも日興上人を引き合いに出したのか。そして、GLA高橋信次に関する霊言集が20冊にも及んで一番多いが、それはなぜか。
 まず、2つの共通点を挙げるならば、著書を売るため。せっかく本を作っても売れなければ仕方がない。買ってくれる相手を探す。宗教に関心があり、信仰心も厚い、日本のマンモス教団:創価学会をターゲットにしたと思われる。その証拠は、いの一番に日興上人の登場があること。教祖ではない 日興上人は、一般世間ではあまり知られていないが学会員なら誰でも知っている。ましてや、大聖人の名前が出てくるとなれば、買ってみたい、読んでみたいと思うのも人情です。
 その次の高橋信次云々は、GLA会員を引き抜く手段として使ったようだ。教祖なき後、GLAは大変もめ、それが機で、かなりの幹部が幸福の科学へ移動したのである。大川親子がGLAに一番深くかかわってきたことも多冊発刊の一因だったと言える。

※大川は、2023年2月28日未明、東京都港区の自宅で倒れ、心肺停止の状態で病院に搬送されたが、3月2日午前に死去した。66歳没
 


【創 立】
 1991(平成3)年3月7日
【創始者】大川隆法
【代表者】大川隆法
【信仰の対象】
 至高神 エル・カンターレ
「家庭用本尊(大川隆法の写真)」「エル・カンターレ像]等
【教 典】
大川隆法が多数の法話で説いた「仏法真理・正心法語・太陽の法・黄金の法・永遠の法」等
【本 部】
東京都千代田区紀尾井町3-12 紀尾井町ビル4F
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 昭和61年にわずか4人で発足し、平成3年7月には152万人に達したと発表されている
 主宰(教祖)大川隆法が率いる教団であり、平成3年3月に宗教法人の資格を取得している。
 主宰・大川は、本名を中川隆といい、昭和31年7月7日、徳島県麻植郡川島町で、父・中川忠義、母・君子の次男として生まれた。父・忠義は、もともとこの教団の実質的発起人であり現在も顧問として陰の統理者と言われている。 大川隆法の写真を本尊とし、大川の霊感によって作成された「正心法語」を根本教典として、会員必読必携の書と教えている。しかし、10十冊以上も買って読まなければならないことが義務づけられている。
 「幸福の生産工場、幸福の販売会社」を根本理念とし、幸福になるための方法論を科学すること。そして、すべての宗教・思想を統一し、この世に地上天国を建設することが第一の目的であるという。そのためには、主宰・大川の教えたる四正道(愛・知・反省・発展)の実行が必要となっている。

 幸福の科学も一応は〝啓示宗教〟といわれてる。それは、他の新興宗教と同じように、主宰・大川の霊感から始まったとされているからである。
 種々の宗教遍歴を持つ父親に、日ごと夜ごと宗教関係の話しを聞かされながら育ち、霊能素質を持っていた母親にも影響された主宰・大川は、いつしか霊道の一分を感じるような人間になったといわれる。
 また、父親の感化で、GLA(教祖・高橋信次/神理の会)にも大きく傾倒していたことが、主宰・大川の降霊誘発した一因ともいえる。
 昭和56年3月23日、「突然、だれかが自分に話しかけようとしているという気持ちに打たれ、いそいで、カードと鉛筆を用意しました。鉛筆をもつ私の手が、まるで生きもののように動きはじめ、『イイシラセ、イイシラセ』と、カードに何枚も書き始めたのです。そして、『おまえは、なにものか』とたずねると、『ニッコウ』と署名します。日興上人だったのです。」(黄金の法246頁)
 ↑このように、霊能者によくみられる自動書記(無意識のうちに、手が勝手に動いて字を書く現象=精神医学者の中にはこれを濫書症等と言う人もいる)によって、「イイシラセ」を書かせた霊は、つまり日興上人(日蓮正宗・大石寺開山上人)であったという。そのあと続いて、なんと宗祖・日蓮大聖人からも霊言があったと言い出す始末。  主宰・大川25才の春、基盤はこうして出来上がり、最初の霊言集を「日蓮の霊言」(善川三郎著)として発刊、その後毎月2、3冊ずつ発行、日本といわず世界中の有名人を霊界に登場させ、そのネームバリューを利用して霊言集を売る団体に発展した。初め、書籍販売団体だったのが、途中から宗教法人に転身し、それ以後、宗教色を強めていった。
 幸福の科学では、主宰・大川をエル・カンターレ(うるわしき光の国、地球)と呼び、金星の支配者の転生だという。また、仏陀(釈迦)の再誕とも自称している。
「私は大川隆法であって、大川隆法ではなーい」 と平成3年に東京ドームで発言した理由は、このことである。



【参考】▼大川隆法の息子の動画

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