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【真言宗(しんごんしゅう)】 偽善者や謀略家を生む〝慢心・創作・エゴ宗教〟 


【1.真言宗概略】
 真言宗とは、日本の弘法大師 空海が東寺を根本道場として弘めた東密を指している。真言宗の成立については、大日如来が色究竟天法界宮にて『大日経』を、金剛宮にて『金剛頂経』をそれぞれ説き、これらの法門を金剛薩埵が結集した。後に、これらは竜樹から竜智へ、そして竜智は『大日経』を善無畏三蔵に、『金剛頂経』を金剛智三蔵にそれぞれ伝付したとしている。
 その後、善無畏は印度から、開元4年(716年)に入唐して、『大日経』と『蘇悉地経』を漢訳し、金剛智も開元8年(720年)に入唐して『金剛頂経』と『瑜伽論(ゆがろん)』等を訳して不空・恵果等へ伝授したのである。
 東密については、延暦23年(804年)に空海が入唐し、恵果を師範として金剛・胎蔵両部の相承を受けて帰朝し、大同2年(807年)11月に日本で真言宗を開宗した。
 その後、高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を開創し、更に弘仁14年(823年)には、東寺を勅賜され、真言密教の中心的な道場として教勢を展開したのである。
 空海没後、東密は真済、真雅をはじめとする十大弟子によって継承されたが、後に胎蔵界を表とする広沢流と金剛界を表とする小野流とに分かれ、以後、更に多数に分派していった。
 現在これを大別すると、高野山を総本山とする古義真言宗と、智山派・豊山派の新義真言宗とになる。
 次に、台密(天台密教)については、日本天台の祖である伝教大師・最澄が、延暦23年(804年)に入唐した際、道邃・行満より天台法華の法門を伝授され、傍ら順暁より密教も相伝したが、後に第三祖の慈覚は全雅から、第五祖の智証は般若怛羅(はんにゃたら)からそれぞれ密教を伝授されたことにより、叡山は慈覚・智証以後、次第に真言密教化し、『法華経』より『大日経』の方が勝れているとする邪義を取り入れていったのである。


【3.釈尊を見下す教義・本尊観】
 根本経典は、『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』の真言三部経と竜樹造、不空訳の『菩提心論』等のいわゆる三教一論を中心として成り立っている。
 『大日経』には、胎蔵界の曼荼羅が説かれており、胎蔵界とは、大日如来の理の平等を示すものとする。これは衆生の因徳を示す義で、含蔵・摂持の二義があり、含蔵とは、衆生の心には本来菩提心が存するということ、摂持とは、衆生が成仏の種子をもっているということである。
 『金剛頂経』には、金剛界の曼荼羅が説かれており、金剛界とは、大日如来の智の差別、すなわち仏の果徳を示すものとする。金剛とは堅固不壊の義で、如来の智は一切の煩悩をも打ち砕いて無上の理を悟り得るということである。
また『蘇悉地経』には、真言の持誦・潅頂・諸曼荼羅及び仏果を得るための種々の成就法が説かれており、特に台密ではこの経を重視している。
 これらをもとに空海は、『十住心論』『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』等を作って真言宗を立て、その中で『法華経』は第三の戯論・無明の辺域であるとして、寿量品の釈尊を捨てて大日如来を本尊としたのである。
 また、『大日経』等の密経と『法華経』等の顕教とを比較対照して勝劣・浅深を判じ、密教は大日法身如来が法界宮や色究竟天等において菩薩のために説いた経典 であり、『法華経』等の顕教は二乗のために説かれた経であって、『大日経』は大日法身の説であり、『法華経』は釈迦応身の説であるから教主も異なり、また 対告衆も異なるので、法華の顕教は大日の密教に遠く及ばず、即身成仏はただ真言に限るとしている。
そして、真言とは〝仏の説いた真実の言葉〟であり、絶対者・大日如来が宇宙根本の真理であるとする。また、教判として、根本の真理である真言自体は、仏の悟りの深遠な境地であるから、常日頃の言葉や論理では到達することのできない秘密の境地であるとしている。
次に、台密の慈覚・智証等は、『法華経』と『大日経』とは一念三千の理は同じであるが、『大日経』には更に身業印契・口業真言の法門が説かれているため、『大日経』の方が勝れている、いわゆる理同事勝(りどうじしょう)の義を立てるのである。


【3.宗教的誤り】
①法華経を第三の戯論と称する邪義
 空海は、『大日経』の住心品と『菩提心論』をもとに十住心を立て、これによって真言と他宗を判釈するが、その中で、第一より第五までを凡夫の善人と悪人・外 道・声聞・緑覚に配し、第六を法相宗、第七を三論宗、第八を天台宗、第九を華厳宗、そして第十を真言宗に配して、真言を最極無上の宗としている。よって 『法華経』は『華厳経』の次であることから、三重の劣とするのである。
しかし、『大日経』の住心品に、実際にその文言があるかということについて、日蓮大聖人は、
「法相・三論・華厳に配する名目は之(これ)なし。(乃至)文義共に之れなし」
と、文もなければ義もないと仰せである。空海の依経とする『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』を尋ね見ても、この文は存在せず、法華を第三の戯論と貶す義が、空海の己義・虚言であることは明白である。

② 密経は法華の顕教に勝るという邪義
 この説は、本来、釈尊の化導には方便と真実があり、四十余年の説教は方便権教であることを隠蔽した邪義であることはいうまでもない。このような大日を釈尊に勝るとする空海の説が、所依の経である真言三部経に説かれているかといえば、やはり、それらの証拠となるべき文も義もないのである。
すなわち、『大日経』の五には、
「中央は毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい)、東方は寶幢如来」
とあり、『金剛頂経』には、
「中央釋迦牟尼如来、東方不動如来」
とある。これらの経文に説かれる中央の如来とは、『普賢経』に、
「釋迦牟尼佛を毘盧舎那と名く」
更に、『華厳経』に、
「釋迦の異名を毘盧舎那と名く」
と説かれるのと同義であって、本来、諸経典には毘盧舎那を釈尊の異名とする意義が説かれているのである。
また、毘盧舎那を法身、盧舎那を報身、釈迦を応身に配する説もあるが、真言でいう大日法身とはこの三身を各々別々に見た上での法身の徳を形容して立てた名称にすぎない。ゆえに日蓮大聖人が『真言天台勝劣事』に、
「大日法身と云ふは法華経の自受用報身にも及ばず。況んや法華経の法身如来にはまして及ぶべからず」
と仰せのように、『法華経』の三身相即の上の法身との勝劣は明らかなのである。
 更に、仏には必ず八相成道が具わるのであり、大日如来が我々を成仏させることができる仏であるとするならば、釈尊のように、八相成道をもって世に出現していなければならない。
日蓮大聖人は、が『法華真言勝劣事』に、
「釈迦如来より外に大日如来閻浮提(えんぶだい)に於て八相成道して大日経を説けるか」
と御教示されるように、釈尊は、その時機に応じて、結縁の衆生を救うべく、現実に印度に応誕して19歳で出家され、30歳で菩提樹下にて無上道を得、以後、80歳で涅槃されるまで衆生を教化されたのである。しかし、大日如来には、このような仏としての八相成道が全く存在していない。
日蓮大聖人が『祈祷抄』に、
「大日如来は何(いか)なる人を父母として、何なる国に出で、大日経を説き給ひけるやらん」
と仰せのとおり、実際に『大日経』が説かれた経緯が全く不明なのである。
よって、大日如来は本来、釈尊の化他の説教中に出ずる分身としての法身仏であることが明白であり、これを空海が寿量品の釈尊よりも勝れるなどとすることは、本末転倒の邪説というべきである。

③ 台密の理同事勝を破す
 台密(天台密教)の慈覚・智証は、『大日経』について理は『法華経』と同じであるが、『法華経』にはない身業印契・口業真言の法門が説かれているゆえ、『大日経』が勝れるとする。
 まず、理が同じとは、『法華経』のみに説くところの一念三千の法門が『大日経』にもあるというものであるが、これは慈覚・智証が入唐後に、善無畏・金剛智等の説に誑かされて、真言と天台を習い損ね、天台に背いて立てた邪義なのである。
 彼等は、『金剛頂経疏』や『蘇悉地経疏』を作成して、この邪義を主張しているが、その根拠は善無畏の『大日経疏』による。『大日経疏』とは善無畏が中国に『大日経』を弘めるために作成した魔書であり、当時、特に勝れていた天台宗の法門を盗み入れ、大日経が法華経と並ぶ高い経典であるとしたものである。
これを日蓮大聖人は、
「真言・大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門これなし。(中略)天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として」
と御教示されている。
また、一念三千の法理を天台宗から盗んだ善無畏は、更に天台宗に勝とうとして、
「其の上、印と真言とをかざり、法華経と大日経との勝劣を判ずる時、理同事勝の釈をつくれり」
と示されるように、身業印契・口業真言を取り入れ、『大日経』は『法華経』より勝れるとしたのである。
しかし、日蓮大聖人が
「此等は併(しか)しながら訳者の意楽に随ふ。広を好み略を悪む人も有り。略を好み広を悪む人も有り」
と仰せのごとく、身業印契・口業真言は、その経を訳す者の意楽によって取捨されるのであり、『大日経』以外にもいくらでもあることから、印契・真言自体がそれほど尊ばれるべきものではない。『法華経』においても『方便品』に、
「為に実相の印を説く」
とあり、『譬喩品』にも、
「我が此の法印は」
とあるように、ただ略して印を詳しく説かれていないだけである。要は、教の勝劣が基本とならねばならないのである。
 道理のうえからも、また文証からも、善無畏や空海の主張が欺瞞と誑惑に満ちたものであることが理解されよう。


【4.弘法大師空海の慢心・創作・エゴ】
①仏の眼目「法華経」には
 仏が悟りの内容を説くということは、人々のこれまでの信仰を否定することであり、多くの反発が予想された。それでも”説く”という決断は、仏の一切衆生救済という大慈悲心の発露に他ならない。釈尊は悟りを開いてから四十二年間、方便の教えを説いて衆生の機根を調(ととの)え、ついに自身の本意である法華経を説いた。法華経の開経である『無量義経』に、
「四十余年には未だ真実を顕さず」
とあるのは、法華経が他経に優れていることを示す仏の金言である。

②「如来の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信ぜよ」
 また、法華経本門『寿量品』の冒頭には、「如来の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信ぜよ」との経文がある。
地涌の菩薩の出現に疑いの心を生じた弥勒等の聴衆が、釈尊に対して菩薩涌出の因縁を説くことを強く願った。これを受けて釈尊が、繰り返して誡めて言ったのが、
「汝等当に、如来の誠諦の語を信解すべし」
という言葉である。
釈尊出生の本懐たる法華経の、まさに中心である『寿量品』の冒頭に、釈尊が宣べたのは
「仏(自身)の真実の言葉である本門寿量品の教えを信ぜよ」という誡めなのだ。

③空海の創作した空理空論の教義
 真言宗の祖・空海は、釈尊が言語や文字で顕かにといた顕教(法華経などの諸経)を方便と蔑み、目に見えず言語化もできない大日如来の秘密の教えである〝密教(大日経)〟を最も優れた教えとする。
 真言宗は、大日如来の奥深い悟りは言葉や文字では表現できず、有資格者にしか理解できないので、言語を介さずに、身密(手に印を結ぶ)・口密(口で陀羅尼を唱える)・意密(心に大日如来を思い描く)という修法(三密加持)によって大日の悟りを会得するのだと主張する。
 だが実際には、真言宗の教義や修法そのものは、文字や言葉で受け継がれているではないか。それなのに”言語を介さない”という悟りの真贋(しんがん)を、誰が、どのように判断するのか。「秘密」という便利な言葉のもと、あらゆる教義や修法は勝手に創作し放題ではないか。「仏の悟りは言葉で表現できない」と言えば一見もっともらしいが、これが「仏の言葉を無視してよい」という根拠にはならない。
 釈尊は「私の真実の言葉である法華経を信ぜよ」と説き、「大日如来などの方便の教えを捨てよ」と誡められている。
仏の言葉に反して行う真言の修法は、仏教ではない。高野山、成田山新勝寺等々、外見だけは立派な仏閣を構えてはいるが、真言宗は全くもって仏法ではないのである。

 日蓮大聖人は、その御生涯を通して法華経の一字一句を色読(身をもって読む)され、釈尊から法華弘通を託された地涌の菩薩の上首、上行菩薩(内証本仏)であることを証明された。そして、
「抑(そもそも)大日の三部を密教と云ひ、法華経を顕教と云ふ事、金言の出る所を知らず」
と、空海が立てた、密教が顕教より優れるという教判を、経論に全く根拠のない邪説と喝破されている。
仏の言葉を無視して、法華経を〝戯論〟と下す空海の思いつきは、所詮外道の邪義である。









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