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 本物の仏教 劣った仏教  〝乱立した低級仏教は人を不幸にする〟





 【1】仏教の起源   〜文明・社会的背景から仏教が起こる〜
 

 「仏教」という言葉には、「仏の説いた教え」「仏になる教え」との二つの意味があります。
 この「仏」についても、仏教ではその経典によって、様々に説き明かされており、必ずしもインド出現の釈尊に限られるものではありません。しかし歴史的に見れば、仏教はインドの釈尊によって初めて説き出されました。
   


 【2】釈尊(お釈迦様)の生涯   〜釈尊の誕生から入滅まで〜



   釈迦族から出た聖者(ムニ)を尊称して 釈迦しゃか)牟尼むに)世尊せそん)と言い、これを略して釈尊と言います。釈尊は迦毘羅衛城の浄飯王じょうぼんのう)(シュッドーダナ)を父とし、摩耶まや)(マーヤ)夫人ぶにん)を母として誕生しました。誕生した悉達多しったるた)太子たいし)が、七歩歩いて「天上てんじょう)天下てんが)唯我ゆいが)独尊どくそん)」と言った話は広く知られています。
   


 【3】釈尊(お釈迦様)が目指したもの   〜全ては法華経のため〜



  釈尊が迦毘羅衛城の太子だったとき、王城の四つの門から外出した際、東門で腰の曲がった老人に、南門で死にかかった病人に、西門で葬列の死者に出会い、これらのろう)びょう))という現実は誰人だれびと)も逃れられない苦しみの相であることを知って、その解決法を考えているとき、北門で一人の出家者が身も心も清浄でいる姿を見て、決然として出家のこころざし)を抱きました。
   


 【4】釈尊(お釈迦様)の仏教の順序   〜法華経に至るまでの方便〜
 

 釈尊は30歳のとき、中インド・摩竭陀国の伽耶城に近い菩提樹のもとで成道した後、海印三昧という禅定に入り、その境地のなかにおいて、21日間にわたり華厳経を説示しました。この時期 を「華厳時」といいます。 この華厳時の説法は、釈尊が衆生の機根をはかるため、試みに高尚な教えを説いたもので、いまだ機根が熟していない衆生は、まったく理解することも利益を受けることもできませんでした。
   


 【5】法華経にも本門と迹門がある   〜本門に末法御本仏再誕の予証あり〜
 

 本門の「本」とは「久遠実成の本地」、迹門の「迹」とは「近成の垂迹」という意味で、「実体と影現」の関係にあります。
 法華経序品第一から安楽行品第十四までは、釈尊がインドにて30歳の時に悟りを開いた「始成正覚の仏」という立場から「迹門」、法華経涌出品・如来寿量品では、迹身を否定し、無始無終の生命を開いた久遠の仏としての本地を顕わした教え、との意味から、後の十四品を「本門」と称するのです。
   


 【6】日蓮大聖人の仏法  〜宗教の勝劣:三証・五重相対  生命の十界〜
 

「三証」とは、日蓮大聖人が宗教の正邪を見極めるために用いられた判定基準のことで、文証・理証・現証の三つをいいます。
①文 証(もんしょう)
 文証とは文献上の証拠をいい、その教えが仏の説法である経典を根拠としているかどうかで正邪を判定することです。『涅槃経』には、「若し仏の所説に随わざる者有らば、是れ魔の眷属なり」とあり、大聖人は、
 「経文に明らかならんを用ひよ、文証無からんをば捨てよ」(聖愚問答抄) と文証の重要性を説かれ、文証のないものを用いてはならないと示されています。
   





















   

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