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【霊波之光教会】 〝期限付きの御札を買わせるビジネス教団〟   


【1.典型的な個人崇拝と幼稚な大宇宙霊波論】

 信仰の対象は「祈り」と書かれた地球儀の上に立つ善雄の偶像である。

 教団では、大宇宙神から啓示を受け霊能を授けられた善雄を「御守護神様」と称し、大宇宙神の分伸・使者として全人類を救うといっている。
 信者の家庭には、「御神体 ( ) ( ふだ ) が、神棚に祀られている。この御札は「善雄の身体から出る大宇宙神からの霊波によって魂入れをした」とされるものである。信者は教団に入信することにより、教祖や二代目とつながり、大宇宙神からの霊波が送られるという。
 教典は、教祖善雄の言葉をまとめた『御書』と称するものである。この書について、教団では「善雄が、宇宙の真理と人間の生きるべき道を説き、人類の幸せと世界平和を実現するための教えを網羅したもの」(趣意)と説明している。
 教団は、「人類救済・世界平和実現を設立目的とし、すべての人々が心を浄化するとともに、温かい心を持ち真の平和な社会を築くために、大宇宙神と霊波のつながりを持たねばならない」と主張している。
 また、善雄は「身体から出る大宇宙神からの霊波を使って札や酒に魂入れを行い、信者たちはその御札や ( ) ( じん ) ( しゅ ) を受けることによって救われる」とされる。
 善雄は、「生前の汚れによって迷っている多くの人々の霊魂が、生きている人に病気などの不幸をもたらす」と説いている。したがって、病気などの災難から逃れ るためには、「死者の霊魂を浄化しなければならない」として、先祖や亡者の浄願祈願を行っている。教団では、毎年6月8日の( ) ( せい ) ( りょ ) ( さい ) 」(教祖が神への道を求めて、はじめて旅に出た日を記念する)のときには、この浄願祈願を無料で行っているという。具体的には、「浄願祈願御札」を本部内にある生命橋から ( せい ) ( しん ) ( ) ( いけ ) に流し、その後、生命橋から「天使閣」に向かって巡拝するという形式である。
 これ以外の浄願祈願は、信者個々の願い出に応じ、特別祈願として有料で行っている。この特別祈願は、本人の霊魂の浄化を目的とするもので、祈願札に祈願 内容を記し2週間かけて行うものである。まず、初日に聖神殿御祈願所で祈願を行ったのち、霊波を注いだ御神酒を全身につけ、次に「生命札」が与えられ、信 者はその札に身代わりの意味を込めて病苦を移し、生命橋から聖神之池に流すのである。この後、二週間分の祈願札が与えられ、信者はそれを家庭の御神体御礼 の脇に2週間祀って祈るという。
 とりわけ信者は、何ごとも素直な気持ちで守護神である善雄にすがり、幸福を願うことによって、すべての悩み・苦しみから救われるとされる。
 また信者たちは種々の祈りを行う際に、善雄が作った『誓訓』等(開きの ( ことば ) ・大要)の文や「御守護神様、二代様、我等人類救済の道へ歩ませ給へ」との唱え言葉を読むことになっている。
 信者は本部での行事に参加するほかに、班単位・組単位で集まって連帯活動をし、病人や怪我人のために祈りを行う。これは当初「和の祈り」と称され、昭和60年ごろからは「結合の祈り」と呼ばれるようになった。集会で行われる体験発表では、治病や救いの経過を再現し報告している。このほか、教団本部では毎 日、体験談やそれをドラマ化した「体験シリーズ」と称するビデオを放映し、宣伝活動を行っている。
 

【2.根拠の無い奇跡を売る詐欺ビジネス】
 「溺れる者は藁をもつかむ」というが、まさにこの教団は、病気という人の弱みにつけ込み、教線を拡大しょうとしている詐欺的な集団である。
 病気なおしの方法は、当初は密教的な九字を切るというものであったが、いつの間にか「波瀬善雄自身の霊波(光)によって治癒する」というようになった。病気 なおしという、教団の中心的な儀礼を簡単に変えることに象徴されるように、教団の教義や主張は一貫性がなく場当たり的である。
 この教団は教義らしい教義もなく、「ただ御守護神様におすがりすればどんな病気も治る」と安直に奇跡を売り物にしているが、その因果関係は明らかでない。

 

【3.教祖は力も無く悩みの多い荒凡夫】

 善雄は、当初、神仏に救いを求めて四国の五剣山で叶座禅を行っている。そもそも小堂で仏教の座禅を組み、その後、神から天啓を受けたなどということ自体、神仏に対する概念が混乱している。
 また教団では、大宇宙神を根本にしているはずなのに「礼拝堂」には地球儀の上に立った教主像が祀られており、悩み多き波瀬善雄という人間を拝む宗教となっている。善雄自身が心臓発作で急死しているように、所詮、自分の身の上にさえ奇跡の力を示すことができなかった凡人である。その者にすがりつき必死に拝むことは癡かな行為というべきである。

 

【4.教祖の天啓と世襲制の矛盾】

 教団は、世襲により善雄の長男敬詞が二代目になり、三代目も敬詞の長男である敬仁に内定しているという。教団内で語られるように、善雄が病気で各地の霊山を修行して歩き、やっと悟りを開いたとするならば、二代目・三代目は一体どのような修行をしたというのか。代々の教主を守護神善雄が見守っていると いうが、それは裏を返せば、身内と信者を分け隔て、信者を見守っていないことを表明したものにほかならない。所詮、善雄の教えは、身内にしか特殊な能力を 認めないものであり、偏頗で不条理きわまりないものである。

 

【5.教祖:善雄が神と人間をつなぐ媒介者であるという邪義】

 「神はエネルギーであり、直接人間に働きかけられないため、そこに神と人間をつなぐ媒介者が必要になり、それをとおして働く神通力が霊波であり、その媒介者が教主波瀬である」としている。教団では、「人類の親たる宇宙神から霊波を受けるには媒介者がなければ受けられない」というが、それでは教主以前の媒介者は誰であったのか。また教主以前の人類は理罪に苦しんでいたということは、それまで大宇宙神は人類を救おうとしなかったことになり、無慈悲といわなければ ならない。人々が理罪を受けることは大宇宙神の罪というべきであり、このような神が本当に人類を救えるのだろうか。

 

【6.期限付きの御札で自転車操業】

 信者は、各家の神棚に祀る「御神体御札」をとおして代々の教主につながり、守護神からの霊波が送られるとするが、これは、御礼を買わせるための理由づけに過ぎない。御礼の有効期限が一年間であるというのは、単なる信者に買い換えをさせるための口実である。また、「この御札を受け、素直な気持ちで信じれば悩 みや苦しみから救われる」といい、死者や信者本人の浄霊祈願と称して御札を買い換わせる教団の意図は明白といえる。

 

【7.「浄霊祈願御札」や「生命札」は単なる演出】

 信者たちは、先祖の霊魂浄化や特別の祈願をしたいときに、浄霊祈願御札や生命札(身代わり札)を教団本部内の聖神之池に流す。生命札には氏名が書かれるが、これによって「悪因緑を切ったり、低級霊を除去できる」と信じられている。これらは流し ( びな ) ( みそぎ ) ( はらい ) と同じ発想で、単なる気休めに過ぎない。また生命橋ができる以前は、どうすれば悪因緑を切ることができたのか。結局、橋から札を流して、信者に有り難たがらせる演出をしているに過ぎない。
 


【創 立】
 1957(昭和32)年9月23日
【創始者】波瀬善雄
【代表者】波瀬敬詞
【信仰の対象】
 
大宇宙神の分神(教祖)
【教 典】
 
御書(渡瀬善雄の言行録)  
【本 部】
 
千葉県野田市山崎2683-1 ---------------------------
 教団は、大宇宙神の分神を自称する ()()善雄が「霊波による病気治し」を掲げ、創設した教団である。
 波瀬善雄は大正4(1915)年7月2日、東京葛飾金町で農業を営む長谷家の長男として生まれた。
 善雄は、昭和11(1936)年1月、20歳のときに陸軍に入り兵役を務めた。同13(1938)年、日中戦争の勃発により、機械化部隊として中国大陸 に渡ったが、まもなく結核にかかり、広島に送還された。善雄は腹膜炎を併発し、陸軍病院や療養所で治療したが一向に快復しなかった。このため善雄は療養所 を自己退所し実家に帰った。
 善雄は実家で療養を続けたが、苦悩は少しも和らぐことはなく、往診の医師から「長くもっても一カ月」と宣告された。同14年6月8日、善雄は母たちの制止を振り切り、神仏に救いを求めて四国に渡った。
 善雄は、香川県木田郡にある五剣山中の小さな堂で三週間にわたる座禅を行い、そのあと山頂に登り極限状態に陥った。このときなんじ生きよ、なんじは神の使いなるぞ、なんじ、神の道を行け」との声を聞き、たちまち病気が平癒したという。
 その後、善雄は十数年の間、自らの身に奇跡を起こした神を求め、苦行を重ねながら全国の山々を渡り歩いた。大隅半島の寺で坐禅をしているときに「妻をめとれ」との声を聞いて久江と結婚し、同23年7月には長男敬司が生まれた。
 同29年3月7日、五剣山で苦行を行っていた善雄は「光(霊波)が体内に吸い込まれるという神秘体験」をし、自ら「大宇宙神の分神であることを悟り、大宇宙神から神と人間をつなぐ使命を託され、身体から治療効果のある霊波を放射するようになった」としている。
 同31年、善雄のもとに集まった信者たちによって、千葉県松戸市馬橋に「霊波之光鑽仰会」が発足し、翌年には同地内に仮本山を作り、「霊波之光教会」と 改称して宗教法人の認証を得た。さらに同44年、野田市に土地を取得し、礼拝堂、聖神殿、生命橋、玉碑などの本部施設を建設して新本山とした。礼拝堂の 正面祭壇には、地球儀に乗った善雄の像が安置されている。また同50年には、城郭の天守閣を模した教主の公邸「天使閣」を建設した。
 善雄は同59年3月に68歳で没し、その四カ月後、長男の敬詞が「霊波継承の儀」を執り行い、第二代に就任した。なお、第三代には敬詞の長男 ( たか ) ( ひと ) がすでに内定している。
 翌、60年には新本山内に総教司令本部、平成9年には各種イベントを行うRHKホールを建設している。

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