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1.内道と外道について  〝神=自分の外にいる=全ては神の思し召し〟


 (1)神をあがめる宗教について   〜ユダヤ・キリスト・イスラムの神は同じ〜




【ユダヤ教の神ヤハウエ】【キリスト教の神ゴッド】【イスラム教の神アラー】は、予言者と称される【モーゼ】【キリスト】【マホメット】がその経典に説示した架空の存在とで、現実に姿を現したことありません。ちなみに旧約聖書で説かれる神を作ったのは〝古代ユダヤ民族〟なのです。
 つまり、〝神の根源〟である旧約聖書は、古代ユダヤ民族が神話を作ったわけであり、神=〝原因もなく人間が想像し作った妄想・自己の外に作った世界〟なのは明白です。これを認めない妄想ロジックが外道(げどう=後述)なのです。
 また、新約聖書では「結婚前にマリアが妊娠し、ヨセフは婚約を解消しようとしたが、夢の中で神から〝マリアのお腹にいるのは聖霊〟と言われてイエスが誕生した」とされていますが、これは100%あり得ない話です。イエスは不貞で生まれた子だと考えるのがごく自然ではないでしょうか?

 『聖書』に書かれていることがすべて真実であると考えるキリスト教原理主義者や宗教保守派が近年もっとも力を入れているのが、「妊娠中絶反対」と「同性愛・同性婚反対」の運動です。
 妊娠中絶に関しては、1993年3月に、フロリダ州の中絶手術をしている医師が中絶反対派によって殺害されるという事件が起こりました。
 その後も同様の医師や職員が殺され、1998年一月にはアラバマ州の妊娠中絶をするクリニックが爆破されています。『聖書』には「汝なんじ、殺すなかれ」という戒いましめがありますが、この教えを守るために人を殺すというのは矛盾に満ちた行為であり、これが戦争を正当化する外道の姿なのです。

 また、日本の天理教、天理王命や金光教の天地金乃神などは、教祖がある日突然思いついて言い出したもので、これまたこの世に現れたことはない妄想ロジックです。
 また神社の中には、天満宮や明治神宮などのように菅原道真とか明治天皇などの歴史上の人物を祭っているところもありますが、これらは偉人を敬慕する感情や時の政治的配慮などによって、人間を神にまで祀りあげてしまっただけのことで、神本来の力をもっているわけではないのです。




 (2)内外相対(ないげそうたい) 〜内道と外道を比較する〜
 

 仏教がみずからを内道(ないどう)というのに対し、それ以外のあらゆる教法を外道(げどう)という。この外道と内道を相対して勝劣を決するのが内外(ないげ)相対です。
 内外相対とは、内道(仏教)と外道(キリスト教・儒教・神道・新興宗教等)との勝劣相対をいいます。この勝劣の基準は、三世の因果を説くか否かにあります。


 (3)二偏見(にへんけん)  〜外道の日常の価値観〜
 

 二辺見(にへんけん)とは、外道(仏教以外の西洋宗教や哲学等)から発生した、世間一般のモノの見方です。
 仏教では「四句分別(しくふんべつ)を説いて「二辺見」の間違いをしっかり破折(論破)しています。この、間違った「二辺見」の考え方が、実は我々も世間に埋もれているうちにしっかり根付いており、外道生活をしてしまっているのが現状です。



 (4)日本に蔓延する〝外道義〟の数々   〜目に見えない外道義〜
 

 日本では敗戦後、特に性風俗が開放され、欧米流の映画やエンターテインメントが興隆し、プロ野球をはじめとする欧米のスポーツが国民行事となりました。戦前の日本人は、勉強熱心で愛国心 も強く、海外からも恐れられていた存在でした。あのマッカーサー も、戦争で日本に勝利を収めた際にも、日本人の勤勉さと愛国心 を恐れ、これを潰してしまわねば再び脅威な存在になると考えたのです。



2.聖書の神は人を救うのか 〝聖書の神と戦争→その先の慈善事業の矛盾〟



 (1)聖書・神とは何か   〜根源はユダヤ人〜
 

『旧約聖書』はユダヤ人によって作成されました。
 簡単にいえば、「この世界を造り出した唯一の神を信じ、その神のいうことを聞くと約束した人びとを神が守ってくれる」という独善宗教です。この宗教を信じる人びとのことを、ユダヤ教徒、あるいはユダヤ人と呼ぶのです。ユダヤ教の聖典である『聖書』(旧約)の冒頭の『創世記 』には、こういう言葉が書かれています。 「初めに、神は天地を創造された。

 つまり、私たちが住むこの世界は神が創造し、人間もまた神が造り上げたものであると説き、ユダヤ人は、根拠も無くその神は永遠であると信じてしまっているのです


 (2)聖書に明らかな戦争の正当化   〜神が、正しい殺人や戦争を命ずる〜
 

 イスラエルのラビン首相暗殺事件も、オウム真理教の殺人事件も、イスラム教原理主義のテロ活動も、すべてこの困難な問題を抱えています。例えば、ラビン首相を殺害した敬虔なユダヤ教徒の青年イガル・アミル氏は、判事の前で、「神の律法によれば、ユダヤ人の土地を敵に渡してしまう者は殺すべきことになっている」と証言しました。
 一般に彼らは「過激主義」の名を与えられていますが、殺人が神の命令となる教えが、「ある奇妙な新興宗教」だけではなく、ユダヤ教やキリスト教の聖典である聖書もまた例外ではないことが明らかなのです。
 信仰者は神(聖書や教祖)の殺人命令を否定できないとしたら、洗脳(伝道)、金集め(寄付・布施)、政治活動、その他諸々の神の命令を信仰者が否定できるわけがありません。ここに間違った宗教の結果・行く末の結果を見るのです。世界の不幸な惨状は宗教そのものに誤りがあるから起きるのであり、正邪を判断する必要があるのです。

    


 (3)キリスト教とは何か   〜イエスは何がしたかったのか〜
 

 イエスは紀元前四年頃、現在のパレスチナ自治区のベツレヘムという町で、大工の父ヨセフと母マリアとの間に生まれたとされています。『新約聖書』によると、結婚前にマリアが妊娠し、疑ったヨセフは婚約を解消しようとしますが、夢の中に神の使いが現れて、「マリアのお腹にいるのは聖霊によってもたらされたもので、男の子が生まれるから、イエスと名付けなさい」といわれ、イエスが誕生したとされていますが、この時点で因果を無視した神話が生まれています。



 (4)キリスト教のマザー・テレザは偉人なのか  〜本当に慈善事業だったのか〜
 

【質 問】
日蓮正宗の信者は他宗教の矛盾を批判しますが、例えばマザー・テレサのような素晴らしい行いをした人、外道の信者や他宗の知人とはどのような親交をして付き合いますか?















   

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