【2.幼稚な現世利益とイベント】
日扇は「法の浅深・勝劣・邪正は現証利益の有無に依って自ら知るなり」と述べ、教学や法門は理談に過ぎず、智恵による信仰を嫌った。自ら「佛立宗は無智宗なり」「現証利益こそ事の法門である」と説いて、信仰の目的、正邪の基準、功徳のすべてを現世利益に結びつけたところに、この教団の特徴がある。
日常信仰活動の特徴としては、毎月の「お講(お講席)」が挙げられる。これは各地域の「組」と呼ばれる信徒のグループが、寺院の出先である信徒宅の拠点
に集まり、法事・祈願・聴聞などを自主的に行うもので、清風が佛立講を開講以来、最も重視してきたものである。佛立宗では「お講」を開催できる信徒は信心強盛とされ、信徒に対し盛んに「お講願主になれるように」と、物心両面の指導をしている。
また、初信者への指導や病気治し等の手助けをすることを「お助行」と呼び、仏前に「御供水」と呼ぶ水を供えて「御看経(おかんきん:拍子木を打ちなが
らの唱題)」の後、「この水を飲めば病気が治る」等、常に現世利益を説き、組織の維持と布教を行っている。
また、大聖人を高祖大士、日隆を大聖人の後身として門祖、日扇を「開導」と呼んで「三祖」と仰いでいるが、実際には清風が残した3,380余首にのぼる
「教歌」をはじめ、俳句、詩、今様、謡曲、長唄、地唄、いろはがるたに至る、さまざまなものを教えの根本として教化活動に用いている。
【3.宗祖・日蓮大聖人の御本尊を否定し本尊自作】
日扇の教学は、日扇が本門法華宗の僧として出家してから、還俗、再出家を経て佛立講をはじめた日隆教学中心の前期と、還暦を契機に「要法本尊」を自作し、本門法華宗からの独立を目指して独自の教学を創り上げた後期とに区別できる。その特徴を一言でいえば、日扇と生涯対立関係にあった本門法華宗に対する体制批判から生まれた改革教学であり、既成宗教の難しい教義や信仰を切り捨て、信徒中心の判りやすい教えと信仰を目指した〝新興宗教の先駆〟といえる。
佛立宗では、宗祖日蓮大聖人の御本尊を「雑乱勧請の広式本尊」と否定し、日扇が自作した「要法本尊」のみを信仰の対象としている。これは日扇が、中央に題目、
その左右に「三箇秘法之中一大秘法」「本門肝心上行所伝」と脇書したものであり、明治10年に還暦を迎えた日扇が、「本尊書写は貫主に限る」などの制約を受けていた本門法華宗からの独立の宣言書ともいえる。
また、日扇は本門法華宗で行っていた一部読誦に対し、「題目で御布施がとれぬもの故に在家のしらぬ御経よむなり」と批判し、難しい読誦は信徒の信心の妨げになるとして、その翌年に「本門佛立妙講一座」という唱題中心の法要式を発表し、講員に徹底した。
現在も法要・勤行は、これに従って行われており、要法本尊に向かって拍子木を鳴らしながら題目のみを唱える「口唱専一」を正行とし、これを「事行の題目」と称している。
【4.日扇自作の「要法本尊」は、宗祖日蓮大聖人に違背する大謗法】
佛立宗では日扇自作の「要法本尊」を本尊と立て、「曼茶羅に十界を顕すことを雑乱勧請・別勧請」といって嫌い、さらに「十界互具の曼茶羅は宗祖の本意ではない」などと妄想主張している。
しかし、日蓮大聖人が『観心本尊抄』『報恩抄』『日女御前御返事』をはじめ諸御書に明示された正意の御本尊は、十界互具の曼茶羅本尊である。別して『聖人御難事』には、
「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年 太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給 ふ(中略)余は二十七年なり」
と明示されているとおり、宗祖の出世の御本懐は、弘安2年10月12日御図顕の戒壇の大御本尊であることは明らかである。
佛立宗が立てる「要法本尊」は、明治10年に本門法華宗から曼茶羅の書写・授与を禁止された日扇が、法華宗からの独立を目指して、自ら一遍主題の左右に文字を並べたものを自作し、これを勝手に「要法本尊」と称したに過ぎない。
日扇の自作だけに、日蓮大聖人の御書のどこを探しても「要法本尊」という言葉すらなく、大聖人の認められた曼茶羅御本尊とは似ても似つかぬお粗末さである。に
関わらず、かえって宗祖が「日蓮が魂」と仰せられた大曼茶羅を「雑乱勧請の謗法本尊」と下すこと自体、大聖人本意の御本尊を否定する大謗法であると同時に、自
ら門祖と仰ぐ日隆の教えにも敵対する愚論である。
【5.佛立宗の「口唱専一」は日蓮大聖人への背信行為】
佛立宗では法華経の読誦は謗法であると主張しているが、大聖人は『月水御書』に、
「されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品 の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ」
と、日々の助行として『方便品』と『寿量品』の読誦を御教示されている。ここの門祖の日隆さえも「日蓮薩埵も又、方便品と寿量品と二の略門修行、之れ有り」(十三問
答抄)と認めている。その経文読誦を謗法と下し、拍子木を鳴らして題目さえ唱えればよしとする佛立宗の「口唱専一」は、本門法華宗の煩雑な一部読誦の修行
を嫌った日扇が、宗祖の実践された正助の二行を勝手に省略し、題目だけにした怠慢行に過ぎない。
宗祖日蓮大聖人の化儀化法を我見で解釈し、勝手に作った「要法本尊」と「口唱専一」の修行を説く佛立宗は、修行ひとつを見ても師敵対の輩であり、謗法を謗法と恐れぬ日扇が勝手に作った「我立宗」にほかならない。
【6.自ら異流儀を証明する「三祖血脈」のあきれた実態】
佛立宗では、日蓮‐日隆‐日扇と連なる「三祖血脈」なるものを主張して、宗祖以来の正統を宣伝しているが、その具体的な証拠や説明は何も無いばかりか、現実に大聖人と日隆には百数十年の隔たりがあり、さらに数百年も下った日扇への血脈相承や相伝などあり得るはずもない。
この実態のどこに、大聖人の血脈が存するというのであろうか。まして大聖人の御本尊を否定し自作本尊など言語道断、さぞかし大聖人はお嘆きであろう。