【エホバの証人】 〝無節操な虚言:ハルマゲドンの大戦〟
【1.幼稚至極の〝ハルマゲドン・千年王国〟】 エホバの証人が日本に伝えられたのは1912(明治45)年、ラッセルが伝道旅行で立ち寄り、大阪で講演をしたことにはじまる。1926(大正15)年には在米中に信者となっていた明石順三が、日本に支部をつくるため帰国し、灯台社を創立し活動を開始した。
明石は聖書の教えに基づいて、争いごとを忌避する立場から兵役拒否を主張したため、当時の官憲の手によって検挙・投獄された。後に明石は協会のあり方に疑問を呈し、除名処分を受けた。
翌1948(昭和23)年、協会はドナルド・ハズレットら七名の宣教師を日本に派遣し、新たな組織化をはかり、1953(昭和28)年10月には「もの
みの塔聖書冊子協会」として宗教法人を取得した。協会では、このときを日本布教のはじまりとしている。現在3,500以上の王国会館がある。
エホバの証人の信徒は、「天地創造の神エホバを唯一の神とし、善人で地上を満たすことが神の意志である」と信じ、「現在の世界は犯罪や暴力、戦争、汚染等により苦渋に満ちたものであり、その原因は他宗派の聖職者や資本家、政治家たちである」という。「これらの悪を一掃するために、間もなく「ハルマゲドンの大戦」、すなわち神の軍団と悪の軍団の終局戦争があり、神の軍団が勝つ」という。この時、「信者は神(エホバ)の証人として戦いを見守ればよい」とされ、このこ
とから「エホバの証人」あるいは「ものみの塔」という名称になった。
また戦いの後、「エホバを信じた人たちはキリストの統治のもとに、楽園となった地上で千年間を過ごすことができる」という。これが彼らのいう「千年王国」で
ある。そこでは「善良な人格を築き、道徳的な生活を送り、その後、神の最終審判があって永遠の命が与えられる」と説いている。
エホバの証人では、信者にさまざまな規則が課せられている。たとえば長時間の伝道や週五回の集会(公開聖書講演会・ものみの塔研究会・会衆の聖書研究・
神権学校・奉仕会)への参加が義務づけられ、そこで繰り返し聖書の解釈を教え込まれる。この聖書の解釈は既存のキリスト教と異なる点が多い。なかでも、旧
約聖書の「血を食してはいけない」を根拠として、輸血を拒否するように教えているが、これは人命を尊重するので医療は受けるが、血は命を表す故に神聖なも
のと解釈するからである。このほか、選挙もエホバ以外の統治を認めることになるので棄権し、町内会の役員、公務員になることを禁止するなど、現実社会にそ
ぐわない面が多い。
輸血拒否の根拠となるのは、聖書の「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように、わたしはそれをすべてあなた方に与える。ただし、その魂すなわちその血を伴う肉はたべてはならない」(創世記九章3、4節)との教えである。
しかし、輸血拒否が最初からの教えか、というとそうではない。
教団発行の『ものみの塔』1927年12月5日号にこの聖書の文があるが、この時点では輸血拒否は決定していない。
1940年12月12日号の同誌には950㏄の輸血をした婦人の体験が掲載されている。
1945年7月1日号の同誌上で輸血拒否がはじめて発表された。これは、ものみの塔誌発刊後66年後のことであり、もし、現在のエホバの証人の主張が正
しいとするならば、それ以前の聖書の解釈には誤りがあったことになる。また、輸血拒否は血だけを神聖視する偏頗な考えである。
【3.無節操な予言はずれ】 創始者のラッセルは「教えと行動のすべてが神の言葉(聖書)と一致していなければならない」としている。ラッセルは神の王国が1914年に到来するという予言をしたが、当たらなかった。そこでラッセルは、その年に起こった第一次世界大戦をハルマゲドン(神と悪魔の最終戦争)であるとした。また既成のキリスト教会は1918年に破壊されると予言したが、これも当たらず、ラッセルはそれを確かめることもなく1916年10月、伝道旅行中のテキサス州で心臓発作のため64歳で死亡した。 2代目のラザフォードも、旧約聖書に説かれるダビデなどの聖人たちが1925年に人間の姿をもって現れると予言し、それを迎え入れるための豪邸までも用意したが、これも当たらなかった。 「ハルマゲドンの大戦」の年代を最初は1914年と予言し、それがはずれると、次は42年、さらに75年へと変更されたのは、無節操きわまりない虚言である。 |