【幸福の科学】〝通称:邪宗の総合商社(邪義の寄せ集め)
【1.立教の不純な動機】 【4.基本教義は低次元】
仏教では四諦法門(苦・集・滅・道)の道諦において、八正道の実践を説いている。これは、声聞乗の人たちに、涅槃に至る方法として教えた、いわゆる小乗の教えである。 幸福の科学では、この八正道を道徳的内容に置きかえ、真説・八正道等と称して、いかにも現代人の道標(みちしるべ)のように説明している。 この八正道の仏語に似せて作ったと思われる用語に、 四 正 道 というものがあるが、四をシといわず、ヨンと発音するのもパフォーマンス目的であろう。 教団の四正道とは、「愛・知・反省・発展」の四つのことをいい、この教団の根本的基本原理としているが、全て低次元な教義である(以下にその詳細を述べる)。 【5.教団の「四正道:愛」のずるさ】 ○本能の愛……家族愛。異性愛。 ○愛する愛……隣人愛(与える愛の出発点)。 ○生かす愛……知性・理性の愛。 ○許す愛………菩薩の愛。汝の敵を愛する境地。 ○救世主の愛…キリストの愛。大川の愛。 幸福の源泉は愛にあって、しかも与える愛によってのみ幸福は得られると力説している。 全体にキリスト教の博愛主義を借用しながら、最後の愛には、 主 宰 ・大川の愛を忘れず置いてあるところ等は、ずるく何とも抜け目がない。 【6.教団の「四正道:知」のずるさ】 この教団では、この世を現象界、あの世を実在界と呼び、実在界を神霊の住む真実の世界としいる。その真実の世界には神理というものがあり、「人間はその神理を学ばなければならない。学ぶことによって神理を覚知する」ということを「知」、といっている。 「知」には次のような段階があるとしている。 第一段階……知の目覚め(阿羅漢の知) 第二段階……知の確立(不動の知) 第三段階……知が愛へ変化(菩薩の知) 第四段階……知の思想化(如来の知=大川の知) これは神智学、あるいは心霊学等で学んだ霊界思想に、むりやり仏教用語を当てはめたものである。ここでも最高位に主宰・大川を 据 えるあたり、かなりのずるさと強引さが目立つ。 【7.教団の「四正道:反省」の思想混乱】 「人間は、心に塵や垢がたまり、それが元で不幸になっている」「心の塵・垢を 祓 うには反省が第一、反省こそが神意であって、その行為によって悪霊が遠ざかり、守護霊の加護が強まる」としている。そして、その反省方法を「釈尊の八正道を実行することにある」としている。 あまりにも、種々なものを寄せ集めすぎたせいか、思想的に極度に混乱している様子が判る。 【8.教団の「四正道:発展」の無意味さ】 「発展とは、神に近づくことであり、愛の発展イコール幸福、つまり、愛の自己増殖する姿を発展」と言っているが、少なくとも一般世間で使う発展の意味とは違うことだけは確か。 ともあれ、人生を明るく積極的に、しかも何でも前向きにという光明思想が、発展の必要条件のようで、これも、生長の家の「人類光明化運動」、あるいは「光明思想」をマネたものにすぎない。 【9.真似と寄せ集めとビジネス本意の混濁宗教】
【10.幸福の科学は仏教への「摧尊入卑」である】
「摧尊入卑」とは、 尊きを摧き、卑 しきに入れると読む。つまり、〝尊く立派なもの〟を、〝つまらない下品なもの〟の中へ入れてしまうということである。 大川隆法の「霊言集」は、まさに摧尊入卑そのもの。 幸福の科学の宗教としての不純性は、既に設立経緯のところで述べたが、「霊言集」もまた、不純そのもの。 「霊言集」の表紙に使った有名人の名前は、単なる自説の著が、どうしたら大勢の人目に 留 まるかということを考えた末、その宣伝に利用したにすぎない。 大川本人自ら次のように言っている。
「別に霊言集で問わなくとも、私が書いてもかまわないのですが……大川隆法の名前で文章を書き、発表しただけでは、世の人々はなかなか信じてくれない。……そういうことでもって、第一段階として今霊言集を続々と世に問うているわけです」(新・幸福の科学入門)
「霊言集」に利用された人物=キリスト、釈迦、孔子、モーゼ、ノストラダムス、ニュートン、天照大神、卑弥呼、紫式部、親鸞、道元、坂本龍馬、出口王仁三郎、内村鑑三、ピカソ、谷口雅春、高橋信次、そして日蓮大聖人等その他多数、洋の東西を問わず、無制限に利用している。
表紙の名前は変えても、中味は皆ごちゃまぜ、大川隆法の稚拙珍説あるのみ。 各宗派の教祖を利用した理由は、関係宗派の信徒・会員の関心を引き、購読メンバーを増やすためである。一般の人であっても、「孔子がどんなことを、また、紫式部がなんといってるだろう」などと、まさかと思いつつも、一度は 覗 いてみたくなる、そんな人間の心理を上手に利用したものである。霊として登場する人たちの知恵とか言い分は全く無視されており、大川隆法の考えを、ただ、霊に代弁させているだけなのです。 以下に、摧尊入卑の代表的なものを二つ取り上げてみる。 ○大川の偽「一念三千」 まず大川隆法の発言(妄言)を紹介。
「いまから、一千数百年前に、天台
智顗
が、中国の天台山で一念三千論を説いていたのですが、そのとき、霊天上界において、彼を指導していたのは、実は、ほかならぬこの私でした。私がそのとき天台大師に伝えた内容は、だいたい、つぎのようなものでした」
これは幸福の科学三部作、しかも中心的教義書といわれる『太陽の法』の一節(珍説)である。そして、天台大師に伝えた内容とは、
「思い→想い→
念
いとだんだんに力を得てくるおも
いの力があるわけですが、……人の心には念いの針というものがある。この念いの針は、一日のうちで、さまざまな方向を指し示し、揺れ動いて、とまるところ
を知らない。……人の念いの針は、すなわち、これ一念三千、あの世の天国地獄に、即座に通じてしまうのだ」(太陽の法)
とのことです。他所では次のようにも言っている。
「人間の思いの性質、念の性質、これがどこにでも通じるという性質のことを、一念三千といいます。 三千というのは、割り切れない数、すなわち、数多いという意味です。」(幸福瞑想法)
これが大川流〝一念三千〟である。
抱
腹
絶
倒
とは、まさにこのことである。天台大師も大変な変人(大川)に取り
憑
かれたような表現である。
大川の「霊言集」には、仏教の一念三千の内容等はどこにも出ていない。 真の一念三千は、正しい仏教では次のように説かれている(日蓮大聖人:一念三千法門)。
「十界の衆生・各互ひに十界を具足す、合すれば百界なり。百界に各々十如を具すれば千如なり。此の千如是に 衆生世間・国土世間・五
陰
世間を具すれば三千なり」
すなわち十界互具・百界千如・三千世間と広がる心をもつ衆生の一念を、一心三観・一念三千というのである。また、天台は理の一念三千、大聖人様は事の一念三千という区別もあるが、詳しい説明はここでは省く。
ともかく、法華経の最も大事な教義を、このような浅識によって軽んじてしまう、これを「摧尊入卑」という=仏教ではこれを十四誹謗のとして、その罪、大なるものがあると説いている。 ○大川の偽「八正道」 真説・八正道と名づけて、幸福の科学は独自の論を立てているが、仏教で説く八正道とは似て非なるものである。真説=珍説と呼ぶ方がふさわしい。
「天台大師よ、八正道はまさしくこの一念三千論を基礎として生まれたのである」(太陽の法)
との大川隆法自身の発言がある。
そもそも、八正道とは、仏道修行を基本とし、人それぞれが理想の境地に達するための八つの実践徳目のこと=仏の悟った実相たる 四諦 (苦・集・滅・道)の理を正しく見る正見(一)、そして四諦の道理を正しく 思惟 (二)し、その道理を語るに正しい言葉で伝える正語(三)、日常にあってはそれを根本としながら正しい振る舞いをする正業(四)、また心身を 浄 め、 しかも正しい理法に合致した生活をする正命(五)、この実践が、より一層理想の境地に近づけるよう励む正精進(六)、そしてどこまでも正道を全うしたいと 念じ続ける正念(七)、終には迷いのない、常に清い禅定の心を持ち続ける正定(八)というのが、仏説の八正道であり、仏道修行の規範として説かれたものである。 しかし、それを幸福の科学では次のように説明している。 自分は、正しくものごとを見たか(正見)、正しく語ったか(正語)、正しく思ったか(正思惟)、正しく仕事をしたか(正業)、正しく生活をしたか(正 命)、正しく神理を学んでいるか(正精進)、正しい人生計画をもっているか(正念)、正しい精神統一の時間をもっているか(正定)、というものです。 八正道を単なる日常訓話に改悪、仏教的意義を捨てる真(珍)説、これも「摧尊入卑」である。 ○大川の「霊言集」は完全な妄想
例言衆参考迄に医学事典には「解釈妄想、意味妄想、虚言症、夢幻症、誇大妄想」等の病名があるが、大川隆法が、この中のどれかの病気に
罹
っているように思える。
自称エル・カンターレ(大川隆法)は次のように言った。
「私は過去の聖者達が思ったこと、行ったこと、考えたこと、悟ったことが、手に取るようにわかるようになりました」(太陽の法)
「私には、釈迦が菩提樹の下でひらいた悟りの内容がどのようなものであったかが、手に取るようにわかってしまいます」(同) 「諸々の比丘、比丘尼たちよ、我はここに再誕す。我が再誕を喜べ、我が再誕に気づけ」(仏陀誕生) 『法華経方便品』には
「此の
輩
は罪根深重に、
及
び増上慢にして、
未
だ
得
ざるを得たりと
謂
い、未だ
證
せざるを證せりと謂えり』
とある通り、大川の罪は甚大である。
また、大川隆法に、日興上人が「イイシラセ」をした、という珍通信は前に述べた通り、そのあと続いて、あろうことは日蓮大聖人から次のような珍通信があったとも言う。
「聖人の私に対する最初の教えは、『人を愛し、人を生かし、人を許せ』という三つのことばでした」(太陽の法)
このようなことをどうして日蓮大聖人が、大川ごときに通信するものか、と怒りたくなるが、大川隆法はチャッカリその裏付けも作っているのである。
「日蓮聖人は、現在私の直接の守護霊役、あるいは指導霊役を務めてくださっている関係上、ほぼ毎日、聖人とは話しをしております」(黄金の法)
これは、「大川隆法の中だけに住む霊」であるから、当然の如く、夢・妄想の中に遊ぶ会話、と理解すればよい。
『日蓮聖人霊示集』のまえがきでは、こんなこともいっている。
「相手の現状を千里眼と宿命通力で分析したあと、日蓮聖人におうかがいを立て、霊言として回答を……」
これでみると、大川隆法はかなり通力も心得ているように言っているが、日蓮大聖人は、
「魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」(唱法華題目抄)
と御指南がある通り、さぞ、大川は大聖人に叱られているはずだ。
守護霊であり、回答を下さる指導霊役、と大聖人を持ち上げる一方で、反対に大聖人をも批判しているのである。
「法華経至上主義についてですが、釈迦の教えは何百何千の法門があり、法華経のみが正しく、他の教典は真理を伝えていないという考えは、間違っております」(黄金の法)
釈迦の再誕だと豪語するわりには、「四十余年未顕真実」という言葉を知らない、なんとも情けないホトケ?である。また、
「日蓮の他宗排撃は、真理流布に急であった面は評価できますが、他宗を正邪の邪としたのは、間違っています」(同)
↑このように、大聖人の四箇の格言を侮り、立正安国の為の破邪顕正、これが大聖人の終生変わらぬ折伏精神であったことを大川隆法は全く知らないいのだが、これもGLA高橋信次の受け売りである。
また、元GLAの大幹部だった園頭広周が、ある本の中で次のように書いている。
「『南無妙法蓮華経』でないと救われないといわれた日蓮上人は、その余りにも強い正義感のために七百年間地獄に行かれた、と高橋信次先生はいわれている」
↑GLAのこれもまた抱腹絶倒の大謗法、何をかいわんや。
大聖人に対して、「法華経を信じて題目を唱えることしか民衆に説き得なかった」と霊友会が言えば、「日蓮聖人を本仏とするのは、けっきょく〈法〉を忘れ て〈人〉に依っている」と立正佼成会も加勢する。そして今またGLAと幸福の科学が悪口雑言をもって大聖人を侮辱する姿は、まさに仏罰をも恐れぬ大僻人といえる。 更に許せぬことは、大聖人御自身が、あたかも語ったように書かれた次の一文がある。
「これのみが〝正法〟という形では決して説いてはなりません。私と同じ過ちを犯します。他の教えも立派な教えでありましょうが、私たちは、このように考えます。という控えめな態度、考えというものを忘れてはならない」(日蓮の霊言)
↑言語道断!詐欺謗法そのものである!
死人に口無しを極限に利用し、仏教に無知な人たちが、このようなことを信じ、世間が仏教を誤解させ、そして宗教そのものを 弄 ぶ彼等の大罪は未来永劫に消えない。
【結 論】
幸福の科学は、なぜ初めの霊言集が日蓮聖人で、しかも日興上人を引き合いに出したのか。そして、GLA高橋信次に関する霊言集が20冊にも及んで一番多いが、それはなぜか。 まず、2つの共通点を挙げるならば、著書を売るため。せっかく本を作っても売れなければ仕方がない。買ってくれる相手を探す。宗教に関心があり、信仰心も厚い、日本のマンモス教団:創価学会をターゲットにしたと思われる。その証拠は、いの一番に日興上人の登場があること。教祖ではない 日興上人は、一般世間ではあまり知られていないが学会員なら誰でも知っている。ましてや、大聖人の名前が出てくるとなれば、買ってみたい、読んでみたいと思うのも人情です。 その次の高橋信次云々は、GLA会員を引き抜く手段として使ったようだ。教祖なき後、GLAは大変もめ、それが機で、かなりの幹部が幸福の科学へ移動したのである。大川親子がGLAに一番深くかかわってきたことも多冊発刊の一因だったと言える。 ※大川は、2023年2月28日未明、東京都港区の自宅で倒れ、心肺停止の状態で病院に搬送されたが、3月2日午前に死去した。66歳没 |